皆さんもニュースでご承知でしょうが、昨今のヨーロッパ大陸は経済問題に難民の問題が加わって大きく揺れています。ヨーロッパは私も少なからず縁がありますので、このことについて私の所感を述べます。

eu-flag私達人類は、この地球上に生物として生を受けてから三十九億年、哺乳類として進化の道を辿りだしてから約一億年強、そして類人猿を経て現在の人類と遺伝的に同じホモサピエンスの道を歩みだしてから二十万年ほどの時を経て今に至っています。さてこれからどこに向かって、どのように行くべきでしょうか。そろそろ、このことを科学的啓蒙ドラマではなく、国民全員で具体的に考えないとだめだと思っています。地球上の我々に与えられた生の時間は永遠ではなく有限なのです。それは個としての生物的な時間だけではなく、集団として継続する時間もそうなのです。人口が増えれば食料や生活物資が必要になる。それにともなって環境問題が拡大し、紛争も増加する。この様な過去の歴史からみて、そのままにしておくと自然発生的に起こることを、そうさせないようにするためにはどうしたら良いのか。技術、政治経済、文化など中の何を伸ばし、何を規制すれば良いのか。今一度、まだ純粋な目と頭で検証する必要があるのです。それこそ、人類が一致団結し、叡智えいちを集めて、未来に向かう現代のノアの方舟はこぶねを造ることを真剣に考える時期に来ていると私は思っています。
成長している人達もいずれは必ず終わりが伴うということを自覚して、その延命の正しいあり方を考え実行に移すための大事な時期だと思います。過去の覇者はしゃのように自分が永遠の命を得るというような個人的な願望のためではなく、人類の集団として、その成長曲線の延長をどのように図るべきかという課題を解決していくことを最優先にすべきなのです。

この地球には、解決しないとならない問題が累積しています。その課題を解決していくための問題の中心に民族問題があると私は思っています。その問題が解決されたなら、連動して解決していける問題が沢山あり、地球上のムダがどれほど省けるか、真剣に考えたなら分かることなのになぜそれができないのか。それは、世界が問題の共有化を図れる仕組みになっていないからではないでしょうか。今の世界はこれまでの歴史の中で政治的・戦略的に線引きされて決められた国家が多く、必ずしも元々からの集まりではありません。
国家はそこに居る人種や民族の集団ですが、そこに居る人種や民族数が多い国家もあれば、その数が少なく均一に近い国家の双方で世界は構成されています。それらは各々体質が異なりますが、人種や民族数の多い国家の方が、均一に近い国家よりお互いの類似点が多いと私は考えています。そして、そこに大事な鍵があるのではないかと思っています。それら各々には長所短所がありますが、未来に向かっては多くの人種や民族が混在して、個々としてはその自由が保たれつつ、集団としてはまとまった、いうなればどこの国家も人種や民族的には大差のない国家になるような方向が、未来の社会の安定に繋がるのではないのかと思っています。

この様な思い切ったことをただ一部の国家だけが先行して行い、従わない国家を武力で強引に従わせるということだと本来の目的から外れてしまい、問題の解決は遠のきます。ではどうすべきなのか。私にはその解決策のあり方が、現在のヨーロッパ状勢の中に透けて見えます。確かに今のヨーロッパ連合EUは、当初のECが掲げた理想の目論見から外れて苦しんでおり、さらに経済問題の上に難民問題が重なった二重苦で身悶えている状況です。しかし、我が国の将来を考えるとき、これを他人事として見ずに、他山の石として考えることが必要だと思っています。果たして極東の島国として安穏あんのんとしているのが、今後の国際情勢の中でどこまで許されるのか、大局的見地から考える時期なのです。

今のEU首脳の苦しみと努力、そしてそれに賛意を示す人達に対して、「しょせんは理想主義」とか、「現実の世界はそんなこととはほど遠く、もっと野心的で、醜いものだ」などと他人事のように論評し、中にはEU首脳を揶揄やゆまでする人が、我が国に意外に多いことを私は心配しています。確かに自然科学的に見れば、我々の遠い生物としての祖先は、自分と違うものや同種でないものを排除することを進化の過程で獲得し、それを遺伝子の中に組み込んだからこそ、ここまで生き続けてこられたということは間違いのない事実です。しかし、だからといって、現在の世界の紛争問題について、この生物学的特性すなわち人種の問題を当てはめて自然の流れと考えてよいものかどうか、私はそれは間違っていると思います。

難民や民族問題は、自然の流れではなくて、過去から現在の野心的な人間が作った、まさしく人間としての大きな間違いなのであって、それを是正しない限り、せっかく人類がここまで至った意味がなくなり、人間自らの先行きを閉ざすことに繋がるのです。
言いかえれば、異端の排除すなわち意志や宗教が異なる民族問題を火種にして、過去と同様の差別、排除、迫害を行ってきたことで、我々はこれまでどれほどの間違いを犯してきたのか、はたして、そうさせたものは何だったのか、それは人間が持って生まれた生物してのさがではなく、防ぐことができたはずなのです。それらの歴史的な反省をもとに、紛争の根元には民族問題があるとして、もう歴史を逆行してはいけないと考えに考えて、この先の人類のあり方を民族の融和に求めようとしている人達の動きを、もっと現実的に受けとめ理解を示してあげる必要があると思います。

先の社会、さらには人類の行き先を考える時、果たしてそれ以外の道があるのか、成り行きのままで放置して良いのかまで突っ込んだ議論を重ね、それが自ら出来ないのであればあえてそれら問題解決に具体的に参加し、汗してから再度もの申す必要があります。その経験が、先の我が国のために必ず役立つ時がくるでしょうし、何もしないままその時になって慌てても遅いのです。

良いことにしても悪いことにしても、人類史の大きな潮流はアフリカ大陸から始まり、いずれまたその元に帰るものと私は考えています。その帰結点の一歩前が今のヨーロッパ大陸ではないかと思えるのです。言い換えれば、今のヨーロッパが我々人類の少し先の縮図として見えるのです。言うなれば、今、EUで起きている難民問題は、回り回って我々日本にも必ず関係してくる課題であって、他人事として見過ごすことは出来ないということなのです。
あまり良い表現ではありませんが、経済と民族問題については今で言うところの「特別区」が現在のヨーロッパ大陸だと私には見えるのです。つまり、私達人類が個別の国家としてできないことを、大陸として挑戦しているように私には思えます。ですから、私達日本人は、人類の前途を決める課題に苦しみもだえながらも果敢に挑戦をしているEUの現状を傍観者として眺めているだけでなく注視し、かつ必要な事については進んで支援すべきだと思います。

昔、私がベルギーに住んでいて感じたモザイク状の国の運営のあり方、そしてオランダ、ルクセンブルグ、オーストリア、スイスなどの他人種、多言語の有り様にしても然りです。複数の言葉を、苦も無く、何気なくあやつり、様々な人種が当たり前のように行き交う。しかし、それを維持するためのそれなりの阿吽あうんの呼吸を心得ている。そのように、自由の中にも規律を守り維持するという、この辺りの社会的な技を、より進化させて、集大成するならば、人類がまとまるために必要な答が出てくるのではないかと思っています。もちろんヨーロッパ大陸では、今現在の右に左に色々な問題が発生し、苦しんでいることを重々承知でこの事を言っているのです。また、自ら住んでいて、彼らとこのようなことを語り合った経験があるからこそ言っているのです。

私は、今回出版する自著の中で、我が国の農業における『足音が最大の肥料』という伝承を挙げ、これには自然の法則をとうとんだ非常に深い意味が含まれていると述べました。これが多くのことに共通するすばらしい言葉だということを、私も自然との長い付き合いのなかでその自然から教わったのです。相手のところに通い、「見てあげる」、「聞いてあげる」、「知ってあげる」、「分かってあげる」、すなわち、そのエッセンスである「感じてあげる」ことこそが一番の支援であり、後押しになるということです。しかも、この中には「見ていても見ていない」、「任しても任していない」という野生の極意も隠れていることも知らなくてはなりません。これがまさしく三現主義(現場、現物、現実)のエッセンスなのです。これは日常の家庭と職場、医療、介護、延いては国際関係などの人間関係にも十分通じることであり、少しでも多くの人がこの考え、この感性を大事にして実践してもらうならば、この世の中が抱えている課題の解決がより速まるものと私は考えています。

そういうわけで、我が国においても、これからの社会のために人類の先を見た壮大な検証が必要だと思っています。基礎から実践までのあらゆる知恵を駆使した社会的実験です。それを既存の地域を特別区として、他人種が集まるという大いなる目標も加えて十年ごと期間を区切りながら、挑戦していくのです。私は、このようなことを日本の『未来社会を育てるために国家特別戦略特区』として、場所としては、まだその風土に素朴さが残り、いざという時の被害も避けやすい北海道のようなところが適しているのではと思っています。

どこにせよ、願わくは、私の生きている間に、この日本のどこかに多人種、多言語の人達が、真に自由で、真に心豊かな動きができる場所ができ、今の国家の概念を越えた地球人としての活動が始まることを、こころから願っています。
以上のような、私の意見について、「均一」すなわち「右にならえ」が性に合っていて、人種問題には未経験の人が多い日本の人達がどう思われるか、興味があります。いかがでしょうか?