今年の干支えとにちなんで

2017年(平成29年)が明けました。今年の干支はとりです。
掲題の俯瞰ふかんとは、鳥のように上空から広く眺めるということから鳥瞰ちょうかんとも言われます。
今年は特に落ち着いて、物事にこのような見方で対処する必要があると思い、年初にこのテーマを掲げました。

俯瞰図(鳥瞰図)とは

皆さんが学生の時、日本史か美術の授業で「引目鉤鼻吹抜屋台」(ひきめ・かぎばな・ふきぬきやたい)という言葉を教わったと思いますが、平安時代の絵巻物、例えば「源氏物語絵巻」などにはこの描き方が行われています。人物の目は一様に細い線で横に引き、鼻はカギ型、室内は部屋の斜め上から見下ろすように描いてあるのが、この画法です。
この他の屋外の風物を描いた絵図なども、絵師が近くの高い所に上がって描いたような構図が多いのですが、実際にはそこまでせずに、普段からそのような場所をしっかり観察して読み取る眼力、すなわち鋭い俯瞰力で描いているのです。

その後の歴史においても、この描写法で描いた絵画が沢山みられ、驚かされるはずです。
城構え、戦いの陣容などの絵図も多数残っており、それらはまさしく現在の立体地図です。物事を俯瞰的に捉えた方が、地形が複雑な日本においては状況を把握し易く、関係者に伝えるのも平面図よりは理解されやすかったからだと思います。江戸時代の東海道中を描いた浮世絵にもこの画法を使ったものが多く、近くに適当な山がないのにあたかも山頂から見下ろしたように広い景色が巧妙に描かれており、これがまた実際の平面図と大きくかけ離れてはいないことからその俯瞰力に目を見張らされます。

スポーツにおける俯瞰力

この能力はスポーツでも大事な役目を果たし、野球やサッカーなどでもその力量を思わせる選手の妙技を見るとほれぼれします。
昔、私がまだ若い頃、冬スキーをやっていた時期があったのですが、スラローム競技ではそのコースが頭に描かれているかどうかでタイムに大きな差がでることから、コースの横を登るときにポール(旗門)がセットされている位置や特徴(失敗を誘う仕掛け)を頭の中に読み取って行きます。それを、スタート・ラインに立って上から見下ろしたコースの様子と、頭の中に入れてきた様子を重ね合わせ、パターン化してイメージを固めます。
スタートしてからは眼前のコースを滑るというよりは、頭の中にあるイメージ・コースを身体に任せて滑り下ります。身体の動きは頭の中のイメージに従っており、眼はその先ずっと前を見ています。そのように、滑っている時の眼が先を見ていないとスピードに乗れず、良い成績は上げられません。今これから通り抜ける関門を目で追っているようではコースから外れるか、ポールに脚などを引っ掛け転倒するなどして脱落することになります。映像などで選手がスタート・ラインで行っているイメージングのための動作を観察していると、このことが分かると思います。
このような力がついてくると、降雪後のゲレンデや山岳スキーなどでは、今その時の足下への対応は足腰に任せ、目はズーッと先を見て無心で滑るようになります。そうすることで危険を察知し、いざという時の対応が可能になるのです。その時々の足下の情報だけを状況判断材料にしていたのでは、先の変化に対応できず、大ケガをすることになります。
深雪の斜面をこのようにして何も考えずに雪煙を巻き上げて滑り下りるとき、自然と一体となって言うに言われぬ恍惚感を味わうことができ、都会の疲れが雪と共に吹き飛びます。
理屈を書けばこのようなことですが、雪国の子供達は小さな頃から斜面でこの感覚を身体に覚え込ませていきますので、後は天賦の才能と、たゆまぬ練習が全日本や国際レースへの道を開くことになります。

一般的にはこれを運動神経とか反射神経という表現がなされていますが、実戦的には俯瞰力が大きくものをいうということを知っておかれると良いでしょう。これは大脳側頭葉の角回という領域の一部で行われる作用ということが分かっており、スポーツトレーニングでもその強化が図られていると思います。なお、幽体離脱という現象もこの分野の異常で起こることが実験結果から分かってきています。

先に述べた私がスキーを行っている時分に、プロの自動車レーサーが次のようなことを言っているのを読み、なるほどと納得したものでした。それは、「運転中は、自分がその運転席の上空を同時に飛ぶヘリコプターの操縦席で運転しているように感じている」というような内容でしたが、まさしくそういう感覚、すなわち高い目線から全体を見渡すという俯瞰力が優れていないと超スピードには乗れないということを如実に表している話しだと思います。

俯瞰力から独創性が養われる

俯瞰力はスポーツだけではなく、学術、芸術、芸能など全ての道に共通して力を発揮します。
それを鍛えるのには、オーソドックスな方法ですが、ともかくその道の優れたもの、一流のものに触れる回数をつとめて増やすことが一番です。そして、それを素直に見習うことを繰り返し、忠実に再現しているうちに、その作者の心が読み取れるようになったなら、貴方の俯瞰力が向上してきたと言えます。大脳の中に、そのための神経ネットワークがしっかりできてきたからです。
独創性はその中から出てくるのであって、頭の中に何も蓄積されていないところからは生み出されません。

俯瞰力の極意

前述のレーサーのような言葉が自然と出てくるところが、その人の力量を表し、口からではなく身体から出る言葉として貴重だと思っています。何事にも熟達してくると、見所やその解釈に変化が出てきて、そこから放つ言葉の表現にも特徴が見られます。
これこそが、そのような感性に至った人、すなわちプロが放つ深みのある言葉だと思ってメモしておいたものを幾つかご紹介しておきましょう。

・「仏像を取り出す」:木を削って仏像を造るというのではなく、木の中に居られる仏像を余分な部分を取り除きながら取り出すという意味合い。

・「自分の人生を盤面に描く」:確か、囲碁の名人が放った言葉だったと思いますが、ただ定石に則って指しているのとは違う心境が表れています。

・「ピアノを弾くのではなく、ピアノで歌う」:もうこうなったらピアノと本人が一体化していることが分かります。

・「病気ではなく病気に罹った人を診る」:これこそ全人的医療の原点だと思います。当たり前のような言葉ですが、これを確実に実践するのには不断の努力が必要です。

・「像を戴く」:著名な賞を得た新進写真家が写真を撮ることについて使った言葉。
この「像を戴く」という言い方は、もしかしたら業界用語かもしれませんが、眼に入った映像を切り取ってこちらに持ち来るということを、敬意を込めて言った、動的、立体的なプロらしい表現で、私には快く感じられたことからメモしておいた次第です。

社会生活における俯瞰力の重要性

年の初めになぜこのようなことを書いたかということを、もう少しお話ししておきましょう。
昨年末に載せました私のブログ記事「2016年を振り返って先を予測する(国際情勢の観点から)」をお読み頂いた方はご理解頂いたと思いますが、現在の世界状勢は大きく揺れ動いており、果たしてそれがどのような流れになるのか予測し難い状況です。
こういった時ほど、枝葉末節にとらわれずに、ものごとに落ち着いて対処することが大切です。私利私欲にとらわれると、この感覚が失われ深みに填まりますので、拙速な判断にもとづく軽率な言動には気を付けなければいけません。

そのためには掲題に挙げた、ものごとを客観的に比較検討するための「俯瞰力」が必要で、その力を普段から養っておく必要があります。自分が好む意見だけ見聞きしているようでは片手落ちで、常日頃から広く深く世間を見通すことに注意を払う必要があります。
好き嫌いは身体だけではなく、頭や心の知的失調症の原因となり、現象から事実を読み取る力を失わせ、大事なチャンスを見逃します。
物事を大所高所から観ることができるようになると、全体の動きや形勢についての見方や判断が大局的になり、やっていることの失敗も少なくなり、自信がついてくるものです。落ち着いて全体を見渡すことができることから、心にゆとりができてくるからです。
また、この力がついてくると自分自身を客観的に見る力も高まりますので、自制心も強くなります。個人であろうと、組織人であろうとこの力を養成することは、その人やその組織にとって非常に有利になります。

昨今、私達の周囲を飛び交うものは、消費者に配慮が足りない慇懃無礼で過剰なコマーシャル情報、狭い了見で大衆誘導の意図が見えすいているマスコミ情報、国民のためと言いながら実は政争本意が丸見えの政治家発言等々、油断をしていたら当の国民が感化されて、それらの浸透で判断力が麻痺し、本質を見失ってしまいかねない無責任なものが氾濫しています。
このような情報に感化されないようにするには、やはり大局的な観点に立って、ものごとを広く眺め総体を比較検討することを通して、客観的な判断のもとで根拠に基づいた言動を為すことが大事で、そのための力を日頃からしっかり鍛えておくことが必要です。その一環がこの俯瞰力を養うということなのです。

俯瞰力の養成例 その1

調べてみると美術や建築の分野ではこの手法を修得する技法が色々あるようで、実務的にもそれが使われているものを良く目にするようになりました。また今はコンピュータで3D画像を容易に描けるようにもなり便利になったと思います。
しかし何でも機器を頼りにしていると、人間の脳の力が落ちて、物事を俯瞰的に見ることまでできなくなってきますので、注意が必要です。これを退化させず、鍛えるのにはその道それぞれ色々な方法がありますが、私のすすめる次のような方法も参考にしてみてください。

先ずは、普段から、物事の裏表、さらには立体的に捉えることができる頭のトレーニングをすることです。例えば、丸と四角をみたら、それを頭の中で組み立てて円筒を思い描く。次いで、それを斜めに切り取った楕円を頭に描く、このような頭のトレーニングからスタートです。
果物の外観から、その縦断面や横断面などを想像して頭に描いてみる。その後、実際に切り割ってみて自分の頭に残っている画像と比べてみる。

そうやってだんだん複雑なものを描いてみることを、頭の柔軟体操のつもりで、遊び気分で続けるのです。このような見方に慣れてきて、物を観たときにその立体図が頭に浮かぶようになれば、俯瞰力が養われてきた証拠です。
なんでもかんでも携帯端末頼りを改めて、自らの眼と頭と手で紙に絵を写し取ること、すなわち写生することを、子供に返ったつもりで無心に行ってみることです。
その内に、描く絵は平面図ではなく立体的、すなわち三次元映像的に描けるようになったらだいぶ脳が活性化してきた証拠です。人に物事を説明する時も、絵図を立体的に描いて説明すれば、相手への伝わり方も早く、印象も良くなるはずです。
建物であれば、その奥行きも描く、そしてその視点をだんだん上げていけば、すなわち見下ろすような視点で描いていけば、それが俯瞰図(鳥瞰図)となっていくのです。

俯瞰力の養成例 その2

昔の私の専門であった基礎医学分野での経験から話しますと、生体組織の切った面(割面)からその前後を立体的に把握する訓練をよくしました。すなわち平面から立体を頭の中に描けるようになることです。その立体はいい加減ではいけないので、物を観るとき常にその奥行きや全体を把握する習慣をつけるために頻繁に現物の精密スケッチを行うなど、普段から自動的にそのようなものの見方が身に付くように練習します。ミクロの細かい変化にだけにとらわれていると、大事な変化を見逃し誤った診断をするようなことがあるからです。
ミクロからマクロを、平面から立体を、静から動を、というように。そのうちに、顕微鏡を覗いた平面な視野の中にその実際の立体像が頭に浮かぶようになってきます。例えば、複雑な血管の構築像などが、そこには一部しか観えないのに、見えるようなってきます。

自らの手を使って描いた写実スケッチが自分の脳内にデータとして集積されていくほど、この俯瞰的見方の精度が高まってきます。連想するための脳内のニューロン(神経単位)の連結回路が多様化してくることからだと考えられます。
これがプロの世界では非常に大事な洞察力の養成に役立つわけです。
恐ろしいことに、パソコンに頼って実際の写生などを行わない時期を長く過ごすと、昔 描けたはずの深みのある絵画が素早く描けず、出来具合も平面的で、スポーツと同様に脳のための日々のトレーニングがいかに大事かを思い知らされます。

まとめ

このように、今の世界は、映像技術(イメージング)などが進んだこともあり、逆に頭の中で立体図譜を描く力が総体に落ちてきているように感ぜられ心配しています。
何においても機器頼りだけにせず、自らが本来持っている素晴らしい生物学的な感覚を活かすべく努め、機器はその生産性の補助やミスの警告をするように、自分と機器の仕事分担を明確にすべきだと思います。
それらが無いと何もできない人間に退化していくことが、もうすでにはじまっています。「文字を手書きできない」、「漢字が書けない」、「暗算できない」、「絵が描けない」、「自分で考えずに検索サイトに頼る」、「写真を撮るだけで対象物を観ていない」、「メールを見ないと落ち着かない」、「携帯端末がないと時間を過ごせない」等々。

少し話しが深入りしてしまいましたが、社会のできごとについても同じことで、自らの見る目、考える力を狭くしないようにするには自分自身の不断の努力が必要だということを、以上のことでお分かり戴きたく願います。

偏狭な見方、考え方で為した行為の結果、損するようなことになって、その情報の発信者や誘導者を恨み罵っても、残るのはわびしさだけです。
皆さんが、大局観を持って、誰でもが納得できるような考え、言動をとることができれば、不逞の輩も蔓延はびこることができなくなるはずです。
まとめとして述べておきたいことは、先に述べた現今のように世界情勢が揺れ動く時ほど、見方、考え方によっては得難いチャンスがあるということにもなります。俯瞰力をもってそれらに目を配っていると、思いがけない幸運を呼び寄せることができますので、ご努力ください。

正月早々、冗長な話しになってしまいましたが、皆さんのご参考になるならば幸です。
ご精読ありがとうございました。
皆様の今年のご健勝を心からお祈りいたします!