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明けましておめでとうございます。
2016年の新年を迎え、読者の皆様にご挨拶申し上げます。
Happy New Year! Much peace, love and joy to you all in 2016.

さて、年初の話題として掲題のテーマを挙げました。
読者の皆さんは、ご自分の今の状況を見られていかがでしょうか。公私共に好調という方もおられるでしょう。一方、どうも行き詰まっているとか、自分を見失っているとかの不調ぎみの方もおられると思います。前者は幸運な方ですので、後半の文章を読む必要もなく、私からの下記の年賀の品を受け取った後はその勢いで進んでください。ただ、健康にはくれぐれもお気を付けください。後者に当たる方は、後の文章をゆっくり読んでみてください。きっと何かが得られる筈ですので。

2016年 元旦
北の仙人 高田 紘一

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お年賀

日頃、私のブログをご愛読頂いている皆様へ、御礼とお年賀の品を兼ねて次の三つの言葉をお贈りしますので、ご活用頂ければ幸です。

諦観ていかん
本質を見極め、自分を乱すような欲望を断ち、世俗にこだわらない確固たる自分が存在する精神状態になること。

観照かんしょう
対象の本質を客観的に冷静にみつめること、美を直接的に受けとめること。

けんけん
自分の見た目が、観客の見る目と一致すること。客観的に見られた自分の姿を見ること(第三者の目で自己を見つめること)。世阿弥(室町時代の能役者、能作者)の残した言葉。

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今、行き詰まっているあなたへ、

情報通信技術 ICT(Information and Communication Technology)は、正しく両刃の剣です。うまく使えば大変便利で大きな効果を上げるために役立ちますが、使い方を誤ると自他共に深刻な被害を受けることになります。昨今は消費者の需要が成熟化している中で、情報を出すか取るかの競い合いで節度のないサービス業が増えてきていることもあり、無為に過ごしているとそれらからの無神経な情報攻撃の影響で本来の自分を見失ってしまう危険性があるからです。システムを開発したり、それを使って人の心を掴もうとしたりする側は、自分達が意図する効果の調査は行っても、それらが人に与える生理学的弊害について追跡調査し、悪影響の回避策を取るまで考えているとは思えません。大方は、情報を出すにしても取るにしても一方的ですから、対象とされた人達は知らぬ間に感化されて本来の自分を見失ってしまうか、理性を失って自我むき出しの状態にされてしまいます。その結果手元に残るものは、「無くてもよい物」、「空の財布」、「猜疑心や虚しさ」、「足りない時間」等々であって、当人は気が付かないかもしれませんが、これは貴重な人生の糧を失っていると同じことになります。

新年早々、暗い話しは止めてくれと言われてしまいそうですが、そうではなくて、この様な世の中ですから、新たな年の出発に当たって皆さんにあえて提案したいことは、年初の目標を「あらためて、本当の自分を見つめ直す年」とされたらどうかということなのです。今、何も問題が無い人はそれでも良いのですが、もし今の生き方に疑問を感じながらも我慢して毎日を過ごされている人や、もっと違う人生展開を望んでいる人は、この際考えてみるべきではないかと思ってお薦めするのです。

「過去に自分が本当にしたかったことや、現在したいと思っていることは、いったい何なのか」を再度正直に見直してみることが大事なのです。せっかくこの世に生まれ、今 ここに存在しているのですから、この際思い切って自分を見つめ直すことを行っても決して無駄ではないのです。これこそ、お金を掛けずに健康な心身を得られる最良の方法であり、だれにも迷惑を掛けず、結果として人にも喜んでもらえる方法なのですから。

私達は日頃、「仕方が無い」とか「断念する」ような時の表現として「あきらめる」という言葉を使っていますが、仏教の教えではこの語源を「あきらかにみる」と説いており、本来はネガティブな意味ではないのです。ものごとの道理を良く考えて、見抜き、正しい道を見つけるということなのです。このように、これまでの自分の要求をそれこそポジティブに「あきらめる」ことで、本当の自分を見つけ、より高次元の要求を満たすべく努力されてみたらどうでしょうか。それを考えることで出てくるかもしれない「虚しさ」や「難しさ」に負けてはなりません。何かを得るためには何かを捨てないとならないこともあるのです。やりがいは人から与えられるものではなく、自ら作るものなのですから。結果として「思い切って良かった!」という道を選び、実現を図ってみましょう。

私達の体内には、自己改革を邪魔する”内なる自分”が存在し、それが中々の強敵なのです。生物が、そしてその一員である人間が、39億年もの長い生命史の中で進化を積み重ねて造り成してきたこの肉体は、神経系、内分泌系、免疫系の三つの仕組みの調和で恒常性(ホメオスターシス)が保たれるようになっています。この生存のための仕組みこそが“内なる自分”の正体なのです。人が生きていくため無くてはならないこの仕組みが、普段は自分を守ってくれているのですが、それが外からの刺激に非常に敏感で、自分が意図しないことでも反応し(それがあるから我々は絶滅しないでここまで生きてきたのですが)、時には人をあらぬ方向へ誘導してしまいます。これは、長い進化の過程で作られた生体内機構と、その人間が進めた近代化による環境や生活変化が合わなくなってきた、言い換えると進化が作った生体の仕組みと、現在の社会の仕組みのミスマッチング(質的不適合状態)がなせる現象なのです。

皆さんも、自分の内面から湧き出てくる要求を考えてみると分かると思うのですが、端的に言えば、先ずは身体が求める「生理的要求」が真っ先に出てきて、次いで「心身が求める安全の要求」が、そしてそれらが満たされてくると次には「社会的要求」や「愛の要求」が出てきます。更にそれら要求も満たされると「承認(尊重)の要求」が表れます。人間性心理学者の生みの親と称されるマズローは、これらを総称して「欠乏の要求」と言い表し、この要求が満足された後に精神的な存在の要求である「自己実現の要求」が出現すると述べています。

*A. H. Maslow1908~1970米国心理学者、人間の要求を5段階の階層で理論化した。この理論は特にマネージメントやマーケティング分野で取り上げられ、今でも国際的に各方面で応用されている学説です。中にはそれを非科学的に解釈し利用して流布している人もいますが、原点をしっかり捉えて参考にされると良いでしょう。

さて、私が皆さんに言いたいことは、これら要求の全てが前述の“内なる自分”が求めることなのだということです。神経系、内分泌系、免疫系は、それぞれ自己を守り存続させるための独特の刺激受容体(センサー)を持っており、それらの反応が連携して諸器官を動かし生理機能を発揮させることで、その時々の状況に見合った信号すなわち「自我の要求」が表れてくると、理解されると良いでしょう。

今の世は、多様なメディアを通して発せられる営業宣伝を筆頭に各種情報が人の感覚を巧妙に刺激して、特に低次元の感覚である「欠乏の要求」を狙ってそれを興奮させるように飛び交っています。それに乗せられて、たとえ仮想であったとしても自我の欲することが満たされると、そこで味わった快感が次の快感を求めるようになります。麻薬の快感を知った試験動物がそれをさらに得ようと狂ったようにベルを押し続ける実験の有り様をどこかで見聞きしたことがあるかもしれませんが、まさしくその状態に落ち入るのです。人間はそれら被験動物と違って理性はあるものの、やはり低次元の要求が満たされた時の快感がどうしても忘れがたいのは、神経系と内分泌系からの生理活性物質(ホルモンその他)の相関作用が為すことなのであって、これは一種の麻薬の作用と同様の生理反応ですから、いわゆる身体が覚えたことは精神的にはそう簡単に消し去ることは難しいのです。

このようなことを回避する解決策は、自分の生理的要求をも忘れさせるような高次元の精神的要求を、先回りして満たしてやることなのです。では内なる自分が求める高次元の要求とは具体的に何なのでしょうか。それは前述の自己の存在を認めてもらいたいという「自己実現の要求」を満たすことです。自分が存在することを周囲が知り、尊敬されるようなることが果たせるようになると、欠乏の要求は不思議に消え去っていきます。これを大げさに考えないで、わざとらしくなく、自分の特技を活かして、慌てないで、「このことで自分に出来ることは何かないか」と必死に考えてみることです。周囲から信頼を得られることは、最初はたとえ小さなことであっても考えれば必ずあるはずです。「為せばなる、為さねば成らず何事も」なのです。

それ以上の内的要求は、次の「自己超越の要求」になると言われています。
これは人間として最高級の要求事項で、まさに禅の悟りの境地と言っても良い内容です。
このことも取り敢えず次ぎに書いておきますので、参考にしてください。

*マズローの唱える「自己超越の要求」

1. 実在(存在の本質being)の世界を知っている

7.  想像的である

2. 実在のレベルで生きている

8.  謙虚である

3. 統合された意識を持つ

9.  聡明である

4. 落ち着いて、瞑想的な認知をする

10. 他視点からの思考ができる

5. 深い洞察を得た経験がある

11. 外見はまったく普通である

Very normal on the outside.

6. 他人の不幸に罪悪感を抱く

 

さて、自我が発する要求はこれまで述べてきたように分類されるとして、自分の要求はそのどの当たりか、更にその上はどの様なものがあるのかなどと思いを巡らせてみると、今後の自己改革の対策も立てやすくなるのではないでしょうか。

以上、”内なる自分”はどこに存在していて、それが要求することについての手の内をお話しした訳ですが、どうでしょうか自己改革の作戦が少しは立てやすくなったと思いませんか。
その中枢は他の動物では未発達の、人間だけが持つ大脳の、しかも最上位の新しい分野にあり、その様な理性をもった素晴らしい仕組みを私達は持っているのですから、努力すれば自分に負けないようになれるのです。そのために大事なことは、重ねて述べますが自己実現を図るためには「自分が本当にしたいことは何なのか」をしっかり見定めることなのです。

日頃、この内なる自分と戦えない弱さの反動が、人のあら探しや感情的な攻撃を強めることになっていることを知ってください。内なる自分としっかり向き合い、対話できる人間は、人を攻撃しなくても人に左右されない強さを持てるようになるのです。

毎年、こんなことを考え、その度に挑戦してみたけれどうまくいかなかった、という人もおられることでしょう。それでしたら、あきらめないで、その時うまく行かなかった原因を思い出して、書き出してみたらどうですか。そんなに大した数はないと思いますが、どうでしょうか。
そして書き出したものをどうしたら良いのか、その対策を考えられるだけ色々な角度から考えて、それを一つ一つ箇条書きにして書いてみてください。
優先順位をつけて、一番難しいと思われることは最後にして並べて書いてみましょう。

その解決策を一つ一つ考えに考えることこそが、自分の真実を探すことに繋がっていくのです。自分の存在の真実が見つかるまで、できれば一日のどこかで、時間を決めて、毎日その書いたものを見ながら考えることを実行してみてください。その日そのことの解決策が浮かばなかったら次の日も。ただこの次の日は別の観点から考えてみることもしてみてください。
車を運転する人であれば分かると思いますが、運転席からいつも見ている景色も、助手席や後部座席から見るとまったく違うように感じる筈です。このように、物事を考える時も、色々な観点から考えてみると今までとは違う思いつきが出てくるものです。

そして、解決したものはチェックして、つぎに書いてあるものに挑戦、ゲーム感覚で結構です。
どこまで解決したら、自分に何をご褒美するかなどと考えても結構です。私からのお薦めするその時のご褒美は、「旅に出る」ことです。旅は私達に多くの観点を与えてくれるからです。
人は何のために生きるか、自分は何のために生きるのか、この様な思いが頭に浮かんできた時がまさに自己改革のスタートの好機なのです。
せっかくのあなたの貴重な人生なのですから、あきらめずに希望を持ってやってみましょう!

私も、低次元な要求がいつまでも出てこないように精進し、少しでも早く自己超越の要求を満たせるように成るべく頑張ります。(間に合うかな?)