本稿前編では、欺瞞ぎまんの同義語である「偽装ぎそう」ということが生物の世界においては「擬態ぎたい」という方法で日常活動の中で当然のごとく行われており、それは生きていくために不可欠な技、すなわち「生命維持」のための一つの行動なのだということを説明しました。
生きるために先ず必要なことは、自らの身体に活動エネルギーを供給し続けることであり、まさしく「腹が減っては戦ができぬ」という理由があるからです。それは食べる(吸う、なめとるも含む)という行動で行われるわけですが、その多くは相手を捕らえて食べることであり、動物だけではなく微生物、植物を含めた生きとし生けるもの全てが自らの進化の中で会得した方法で行っており、それができなくなったら死に至るということになります。

そのためにも捕食が成功する確率を高めることは生物にとって必須の戦術であり、それが捕らえるものを騙す技を進化させてきたということになります。一方、捕食される側もそう易々と捕らえられては絶滅してしまうことから、それを避けるために素早い逃避行動と、見つかり難くするための偽装レベルを高めるための技を進化の中で取り入れてきたということは疑う余地がありません。植物も然りで、ただ食べられるだけではなく様々な工夫をしてきていることについて様々な研究報告があります。拙著「育てて育てられる」でも紹介したことですが、例えばアフリカにおけるカラタチの木の話です。動物に食べられ難いように葉の近くの枝に鋭いトゲを増やしてきたこと以外に、キリンなどに食べられだすとその近くの葉を短時間のうちに嫌われる味に変えることでその捕食者がそこに長い間止まって食べ尽くされるのを防ぐ方法、さらに周辺の仲間にその危険を知らせるという方法をその植物の生理活性物質などの作用を通して行う機能を発達させてきたというようなことです。

さて、生物にとって捕食行動、あるいは捕食から逃れる行動の次に大事な活動は「種の保存」になります。これは繁殖という活動を通して行われることになりますが、そこには捕食の実行力、すなわち神経系を含めた体力が優れたもの同士が結びつくことで繁殖率が高くなるという生物学的な選択行動がみられます。そのために、そういう相手同士が生存競争を経て出会い、かつ相手に気に入ってもらうために様々な技を駆使することになりますが、姿や動き、鳴き声の変化のほかに匂いの強調などもその中に含まれます。これら繁殖相手の獲得行為については自然番組などを通してよく紹介されていますので皆さんもご承知のことでしょう。

人間も生物の一員ですから、おのずとこのような能力が受け継がれているのであって、それが日々の活動、行為に出てくるのは必然的なことなのです。
それでは人間の世界では、このことがどのように行われているのか、その実態について幾つかの切り口から見てみましょう。

ヒトが行う偽装方法:
(*人間を動物の一種として書くときは「人」を「ヒト」と記載します)

先ず、最も身近な例ですが、皆さんの身の回りで当たり前のように行われている偽装です。そうです、すぐ分かりますね。それは「よそお」です。美容や服装、装飾品などであり、そもそも化粧という字が偽装を表す字を使っていることからお分かりでしょう。ある年齢以上になるとそれをしないと無作法で失礼だというような仕来りにまでなっています。見た目は変装に近い化粧もありますが、その目的が詐欺行為として相手に被害を与えるようなことにならなければ社会は問題にしませんし、その技を競い合い、社会もそれを評価しているのが実情で、これは古代から続く世界的にも歴史のある行為であることはご承知の通りです。アフリカや南米の原住民の化粧を観るときれいな鳥や強い動物を模倣していることが多いので、化粧の原点は男が他の男よりもよく見えるように目立つ鳥や強い動物に似せる、あるいはそれで自然への畏敬の念を示すというように思えるのですが、きっとこの辺りの由来を研究している分野もあることでしょう。こんなことで化粧は明らかに偽装ではあるものの、その内容から社会悪とは言えないでしょう。

しかし、人間が行う次のような事は当人が意識するしないに関わらず相手と差別化を図ることに繋がる行為であり、それが進むと色々な社会問題を発生させる原因にもなってきます。

・見栄をはる ・偉ぶる(尊大な態度で振る舞う) ・うわさ話の拡散 ・陰口
・お節介⇒介入 ・ねたみ ・いじめ ・差別 ・無視 ・盗み見、盗み聞き 
・個人情報の漏洩⇒暴露 ・約束の反故ほご

この他にも、本稿の「前編」の冒頭に挙げた「欺瞞」の同義語に当たる言葉で表される行為に関連することを挙げるとまだまだあるでしょう。これらは自然の動物が生きるために行っていることから逸脱した人間特有なものが多く、犯罪の要因にもなり得るものなのです。これが人間の特性なのであれば、その体内に悪魔がいるのではないかと思わせることであり、時には自分の奥にもそれが潜んでいることを感じると、「人の常」とか「人のさが」と単純には割り切れずに恐ろしく思ったりします。

偽装をさせる司令塔

それでは、このような行為は人間のどのような仕組み(構造と機能)が為すことなのかを説明しましょう。これからの話は少々専門的な言葉が出てくるかもしれません。そのために、この私のウエブサイトのブログ「216年1月1日付け:自分を見つめ直してみよう」を読んでおくと理解が進むでしょう。
また本テーマにご興味があり、突っ込んで学びたいと思う方には、後でも結構ですから拙著の次の箇所を読んで頂ければきっと目的が適うでしょう。そこには本テーマに関係のある脳神経系の生理学を一般の方にも理解できるように噛み砕いて書いておきましたので、ご活用ください。
「人生・迷った時の道しるべ;自分の本当の道を進むために」
  1-3 考えることはどこで、どのように行われているのか
  4-2-1 欲望の階層
  4-2-2 心中悪魔の存在

先にヒトの脳神経系(中枢神経系)の基本的な構造と機能を説明しますが、下の図表と合わせてお読みください。
中枢神経系の下方から説明しますと脊柱の中を走る脊髄があります。その脊髄が首と頭の境目から頭蓋骨内に入って行くわけですが、その中の脳を大きく分けて表現すると入ってすぐが脳幹、その上が間脳、そしてその上が終脳となります。
脳幹は下から頭頂方向に向かって、脊髄上端に位置する延髄、そして橋、中脳で構成されています。
その上部にある間脳は主に視床と視床下部で、そこには下垂体や松果体なども存在します。
終脳はいわゆる大脳であり、表面は神経細胞が密集する大脳皮質、その内部は主として皮質の神経細胞から出てくる神経線維の束が走る髄質という部分です。
ヒトの大脳皮質に存在する神経細胞の数は140億個、脳全体では千数百億個と報告されており、それら各々が出す神経線維が複雑なネットワークを作って身体の隅々からの情報を解読し、その対処について必要な場所に伝達しています。その伝達は通信ケーブルの本線となる脊柱内を走る脊髄を通って末梢神経の連絡網の中を電気的信号や生理活性物質を使って行われます。

このようにヒトの脳神経系は複雑な構造をしていますが、比較解剖学的にはヒルのような環状動物では頭部に神経節を持った単純な一本の棒状の神経組織が体内を走っているだけです。生物の進化の道を辿りながら両生類、爬虫類、魚類、鳥類、哺乳類、人類の脳神経系を見ると、その先端部分が脹らんで、脳となってだんだん分化し大きくなってくると共に、その下部の体内を行き来する神経線維網も複雑にシステム化してきていることが明確に分かります。
またヒトの脳神経の構造と機能をみても、脊髄から大脳皮質に向かって行くほどその役目(機能)が高度化してきます。高度化とはその役目として行う内容のことで、最終的には理性を司る、いわゆる人間的な仕事ということになり、その場は人間の大脳新皮質という領域になります。この大脳の構造と機能がヒトとその他の動物と大きく異なるところなのです。下表には進化の頂点にいると考えられるヒト中枢神経系各所の役割の要点も記載しておきましたが、脊髄からはじまり最下段が他の動物と大きく異なるヒトの大脳です。

何がして欺瞞、偽装を起こさせるのか

次に前述した「ヒトに偽装工作させる要因は何なのか」を考えてみましょう。
偽装は本人が欲することが満たされない、すなわち潜在的にある内なる欲望が欠乏するときに出てくる生理的な要求の表れであり、その出現には階層(順序)があります。これをマズローの要求段階説をもとに説明しましょう。

第1段階:先ずは身体が本能的に求める「生理的要求」が出現します。日常発生してくる「飲食する」、「排出する」、「休む」、「寝る」など身体を維持するための基本的な生理的要求です。

第2段階:前記生理的要求が満たされてくると「安全・安心の要求」が出てきます。すなわち不安の無い状態で過ごしたいという基本的な精神的要求です。

第3段階:前記要求が満たされてくると「社会的要求(帰属要求)」が出てきます。上記要求が満たされたとしても孤独感や社会的不安を感じることから、仲間が欲しくなったり、集団に属したくなったりするわけです。

第4段階:尊厳要求(承認要求)、すなわち他者から認められたい、尊敬されたいという要求です。「人に評価されたい」「認められたい」「より良い環境で過ごしたい」「衣食住のレベルを上げたい」「人を愛したい、愛されたい」などで、第2段階、第3段階で満たされたことから出てくる欲です。この中に俗に言う「金銭欲」、「性欲」、「地位や名誉欲」などが絡んできます。この辺りで先に書いた他の人との差別化などのはかりごとを行うことも出てくるわけです。なお、この段階の要求行動は動物でも見られるものです。例えば猿山の地位争いなどを思い越してもらえればお分かりかと思います。

第5段階:前の4つの要求が満たされると「自己実現要求」に駆られるようになります。
自分の能力を生かした創造的な活動がしたいというような内なる要求です。
前の4段階目で満足して人生を終わる人が多いのですが、中にはそれに飽き足らず「人は何のために生きるのか」ということに気が付き、満足の次元を変えることでこの第5段階前まで至ります。この段階での要求行動は人間特有のもので、個人の充実感につながります。

第6段階:前段階まで至った人の中から自己超越の要求を目指す人も出てきます。人間として高尚な要求、すなわち禅の悟りのような心境を得たいという要求で、身に付いた一切の無駄をそぎ落として、世俗を離れ、世の中を達観(諦観ていかん)して暮らし、精神的な平安を得るべく精進する道です。なお、これは修行僧の道だけがそうだということではありません。

それでは欺瞞の行為をさせる内なる要因と、体内のその指令場所について説明しましょう。
先に述べた「人間の欲望の階層」を読まれて「人においては欲望が欺瞞の行為の要因になる」ことは理解できたでしょうか。特に第3段階、第4段階の欲望が満たされなかった時や、たとえ望んでいたことが満たされたとしてもその状態を他の人と比較してみたらどうも差があると感じた時に表れ出るものですが、それを解消したいという強い内なる要求(欲望)が起きてきます。問題なのはそのような時に、それを目指す過程で先に述べたような欺瞞の行為に走ることが得てして起こりがちだということです。その大方はその個人の実力以上のことを望んでいるからであり、当の本人には他の人が自分の要求実現のじゃまをしているようにみえるからです。

ところで欲望と脳との関係についてですが、私達周囲の状況を感じ判断することについては、視聴覚の出先機関である目、耳、鼻、舌、皮膚などから得た情報を解析判断する大脳皮質の辺縁系が担っています。そしてそこでは過去の経験に照らして好き嫌いという個人の嗜好も加わります。その情報がもとになって間脳の視床、特に視床下部が各所に欲望の要求指令を出すことになるわけですが、これが俗に言う「欲望(本能)」と言われる行動の始発となるのです。

ヒトの場合は、他の動物より特に発達している大脳新皮質という領域が、過去の経験や学習の中から得た知識・教養が「理性」を育てていることから、湧き出てくる自分の欲望や本能を判断し、状況によっては自制させる役目を担います。この理性(自制心)の力が弱い時(大脳新皮質の神経回路が未発達の幼少期、その領域に遺伝的・病的に欠陥がある人、アルコールや麻薬などでその機能が麻痺したりしている時)などでは欲望や本能が抑制のない直情的な行動が起こりやすくなります。また、自制心の欠如は自分を実力以上に見せようとして欺瞞の行為に走ることが多くなります。このメカニズムは実際にはもっと複雑な反応経路(注)になるのですが、本稿はそれを詳しく解説するのが目的ではないので、一般の方にも分かりやすくするために生体のごく基本的な反応をかいつまんで説明したわけですが、欲望や本能がむき出しになる機序の基本的パターンとしてご理解ください。
(注)特に性ホルモンと大脳内の前頭前野、扁桃体、側坐核、海馬などが関与した反応経路。

さらに知っておかれるべきことは、脳神経系はホルモン分泌を担う内分泌系や、身体を外部の刺激から守る免疫系との間に強力な相関路(ホメオスターシス)を作っており、これらの三系が連携して私達身体の生理的バランスをとっているのが正常な身体なのです。
それらが外部からの様々な刺激で侵された結果、前記三系の相関(流れ)が乱れると体調が崩れ、それが自律神経失調症のような全身機能の異常に伴い精神的にも歪んだ考え、そして正常時では考えられないような異常な行為を発生させるようなことになります。
例えば、私達の体内では男女共に男性ホルモン(テストステロン)と女性ホルモン(エストロゲン)の両方が分泌されているのですが、それらが性別や年齢に合わせて分泌する時期や量が変化し、その適切なバランスで男女に見合った作用が起きています。それが、思春期、生理期間、閉経期、老年期などの性ホルモンのバランスが崩れるような時期には、前述の脳の反応経路が興奮して怒りが過剰な暴力を駆り立てるような現象が起こります。これらの暴力は力によるものだけではなく、いじめや差別など先に挙げたような陰険な行為としても表れ出ます。なお、この現象(症状)は男女共にその当人の個性や日頃の好き嫌いが絡んで起こりますので複雑で、当人のことを良く理解しているものでないと対処は簡単ではありません。
ですから力による暴力もさることながら、それが陰険な行為として起こされた問題についても、その要因分析を専門的にしっかり行い対処しないと真相解明ができないし、再発防止も不十分になるということをぜひご理解ください。

欲望に負けないための自制力を高める方法

私達の、内なる欲望を抑制するためには精神面からの自制力の養成が重要なのであり、自らの人格(人間性)を高めるということが一番確実な道なのです。これは幼児期からの「親の躾け教育」「学校や社会での規律遵守体制」で培われます。そういう環境を通して、素直な気持ちで分け隔て無く人のために尽くすことは正しく貴いことであり、そのことから得られる達成感は何ものにも代えがたいということを体感していかなければなりません。もちろん、そのためには健康維持ということが前提であることは言うまでもありません。
その上で、欲望の階層の第4段階まで至った人は、そこを少しでも早く卒業し、第5段階に進めるように人間力の向上を図るべきなのです。そしてそこで自分の善の力を世の中に開花かせるために創造的な活動に自らの力を傾注してもらいたいのです。そうするときっと世の中から素晴らしいおかえしが必ずあるのです。

こんなことから本稿の結論に入りますが、私は、人生を全うするためにはやはり素直に生きることが一番だと思っています。人生を長く生きてきた経験から、そして一本道ではなく複数の道を、加えて国内だけではなく海外生活や多くの人との交流を通して得たことからの総括です。
素直でいると人の言葉が良く理解できるようになります。また相手もそして周りに人もそれなりの対応をしてくれますので、得るものも多くなります。
もちろん私はこれまで、特に若い時期は色々な失敗を重ねました。しかし、それを後から考えてみると、自分の考えや行動に甘さがあって、それを無意識のうちに偽装したことで成功しなかったということに気が付き反省したものでした。この辺りのことを、次代の人達に少しでも参考になればと思って拙著「成功する人の条件」を書き残した次第です。

まとめ

さて、本稿を閉めるに当たって、前編の末尾に書いた次の疑問事項について、答えを出すことにしましょう。
『この行為、すなわちこの「あざむき」の活動が、生物界にとっては自然の仕組みであって、単純に善悪では論じることができない本質であるということが理解できたとしても、冒頭にも述べましたように欺瞞ということをいざ人間を対象として考えるとなると忌み嫌いたくなるのはいったいどうしてなのでしょうか。』ということについてです。
これについては人によって、また分野(心理学、哲学、宗教など)で答えが違ってくるでしょうが、私は次のように考えています。

1)自分もしくは身近な人が偽りの行為で被害を受けた時の辛さ、苦しさ、悲しさなどを身に染みて分かっているということからです。それを回避するために「自らが自らを偽る」に走ることの後味の悪さや自分の情けなさも含めてです。
2)人間の欲望の階層中にあるように、人間成長の初期段階では外的に満たされたい、すなわち低次元の要求に襲われ、それを満たすためにお金や時間を費やしているうちに、大方の人は「どうもこれではいけない」、「もっと内的な面で満たされたい」という要求の高次化に駆られるようになってきます。

すなわち、物質的な、あるいは名誉などの願いが満たされた人の大方はその後に言い知れない「わびしさ」や「孤独感」におそわれるのが人の常なのです。それはどうしてなのでしょうか。
人間の脳は快反応による行為が引き金となって快楽中枢が興奮し、その要求の強さがどんどん拡大していく傾向があります。そしてそれに飽き足りなくなると、それを自らの意思で制御し、克服したとき以外は強い喜びを得られなくなってきます。そのためには自己統制など自分にとっては辛い時期も経験するもののそれを乗り越えた時に得た快感が、何ものにも代え難いことと感じるようになるわけです。マラソン走行中のランニング・ハイがそうです。高山を辛い思いをして上り詰めた結果として頂上で得られる達成感からくる喜びと同じような感覚です。そういう価値を知ってしまうと、低次元の要求を満たされ喜ぶというようなことは自分にとってあってはならないことと思うようになり、そのような状態に浸ること、そのような状態に至らせる行為ーある面では悪のささやきーを条件反射的にさげすみ、忌み嫌うようになるのです。

まとめますと、ヒトは脳が発達してきたことによって、他の動物と違って欲望の階層を意識するようになったということ、特に、つきまとう死の恐怖も感じるようになったことにより、その欲望の確保を焦るようになりました。そのため、生物の世界ではその行為が日常行動であっても、人間社会ではそれが人間関係の維持に対して悪影響を与えることが多いことから罪深いとしたはずなのに、それが平気で行われることで乱れてきているのが昨今の世情ではないでしょうか。
すなわちこれは理性のレベルが変わってきているということになりますが、別の表現で言うとモラルが低下(あるいは変化)してきているということにもなります。

自然の真理は不変であり、理性もそうであるべきなのですが、そうではなくなってきているのです。
この現象は、自由は規律が伴ってこそ統制が取れるものなのにグローバリゼーションの副作用としてその統制の解釈が身勝手になってきていることに原因があると私はとらえています。 

今の世界は、人が他国を行き来しなくとも、だれでも簡単に情報に触れることができ、背景が違うのにもかかわらず自分自身と比較判断してしまうことに問題があるのですが、その背景には急速に進む社会の多様化(多人種、他民族、多文化)に見合う人や組織の在り方がこの世界、強いて言えば人類としてあるべき姿に育て、整え、共有化することまでに至ってはいないことからくるものと私は思っています。

大事なことなので表現を変えて説明を繰り返しますが、本報の中で私は脳科学の切り口から「私達に湧き起こる内面的他な欲望の多くは、人間の進化の過程で獲得した大脳新皮質内で育まれた『理性』により制御されている」という主旨のことを述べました。昨今の世情を見るとこの「理性」そのものが変化してきていることを強く感じているのです。ヨーロッパでの産業革命により急速に発展した社会の陰で、科学や工業が人間性の喪失をもたらす現象を発生させ、それが今に続く情報社会の中で、グローバル化も相まって人間性の変化に更なる拍車を掛けていると思うのです。このことから、本来、人間性というものは理性そのものであるはずなのに、科学や産業が、言い換えれば社会の変化がそれを変えてきているということになります。
知る必要もない欺瞞の情報に翻弄ほんろうされ、不安がすべてを知らなくては、すべてを得なくてはという切迫行動を取らせ、その結果が「理性」の変化を加速させているということになります。
それにより、「真理」と「理性」が乖離し、ますます疑心暗鬼に陥り、物事を素直に見られない、公正公平に判断できない人が多くなってきているのではないでしょうか。

私は、自然科学を学んだ者として「現象から事実を学ぶ」ことを通して事の真理は一つであり、不変のものであるという考えを今でも変えていません。そんなことから、人の理性は真理であるべきなのに前述のようにそれがだんだんそうでなくなってきていることを感じているのですが、特に問題なのは自分達の理性を自分達に都合良く変化させていって、それにより歪めた真理をまことしやかに主張する人がマスコミ情報などの前面に出ることが多くなり、それにより一般人が惑わされていることついて強い危機感を抱いています。
この状態で次代を担う人達が果たして大丈夫なのかと。
何をしてこれの傾向を是正すべきか、これがこれからの人達の吃緊の課題だと思っています。

このテーマについて、皆さん一人一人が考えてもらうことを願ってやみません。
本報について皆さんの忌憚のないご意見を頂ければ幸です。

(完)