杞憂とは

古代中国は我が国に漢字という良い贈り物をしてくれました。ローマ字や仮名文字に比べると書くのが面倒で時間も掛かるものの、一字々々が意味を持っており、その字句の由来を調べてみると歴史を背景とした人としての尊い教訓が込められているものが多いことが分かります。書くと長時間を要するその内容が短い字句の中に込められているので見方を変えると合理的であり、人類の貴重な文化財とも言えると思っています。その意味から、世の中のせっかちでゆとりのない流れの中で漢字の魅力が失われていくことに私は一抹の寂しさを感じています。
この掲題に使った漢字の説明をしておきますと、「杞憂きゆう」とは「心配しないでもいいことを心配する」という、いわゆる「取り越し苦労」の意味があります。
憂慮ゆうりょ」は「うれおもんばかること、すなわち心配して思案すること」です。
特に昨今は国内外で次々と問題が重なることから、この憂慮という言葉を報道などで見聞きすることが多くなっていますので、掲題は偶然ながら時宜にかなった文言と言えるのかもしれません。

顧みると

さて今日は、秋の季節に因んで掲題と同じ字を使った「憂愁ゆうしゅう」(心に不安や苦しみを抱くさま)ということについて、私の近頃の心境を例にしてお話しましょう。
時がだいぶ経ってから気がついて、どうしてあの時それに気づいてあげられなかったのだろうかと思案するようなことが皆さんにもあるのではないかと思いますが、この頃の私は特にそれが多くなってきました。
現役を離れて、自分自身や世の中の事を落ち着いて見られるようになったということもあるのでしょう。「諦観ていかん(注-1)という言葉の意味は知っていましたが、これがその心境なのかと思ったりしています。
(注-1)①本質をよく見極めること。②俗世に対する欲望を絶ち、超然とした生活態度をとること。
若いときは前ばかり見ていて、現状にかまけてそれどころではなかったのだと思いますが、なぜかしらこれまで接した人達の、気にもとめなかったようなことが今になってふと頭に浮かんできます。ということはそれが頭のどこかに残っていたということで、自分でも無意識的に認識していたことなのでしょうが、その時の事の優先順位からなのか、自分の感受性のレベルからなのか、そのことをしっかりと受け止め反応していなかったことは事実なので、さぞかしそれらの人達からは鈍感とか冷淡と思われていたことでしょう。遊び仲間や女性からの誘いであったならそれで良かったのですが、大事な人からの真面目で真剣な働きかけを見逃してしていたのであったならば、たとえそれが微妙なサインであったとしても今思うと自戒(じかい)の念を込めて「我が人生における大きな見逃し」であったと言わざるをえません。

特にその思いに至った人や組織の今の状況を知った時など、その心境に思いをはせると心が重くなることがあります。
思い返せばあれが合図であったのだろうということ、表現を変えれば ”当時の状況をしっかり振り返れば、今でもかすかに覚えのあるあのちょっとした気配や変化” を大事に取り上げ、その寄って来るところを丁寧に調べて対処していたのなら、その人や組織がこうならなかっただろうにとか、もっと良い方向に導いてあげられたであろうに、などというようなことなのです。
自分もこの人生の荒波を必死になって乗り越えてきたことを思うと、皆それぞれ大変であったはずですので、他人事のように「自業自得だ!」とは言えず、かえって自分の包容力の小ささを情けなく思うのです。いまさら悔やんだって仕方がないと思いながらも、頭に浮かんだ以上はそれを無下に消し去ることもできないことから、心の襞に触れてくるわけです。
顧みると、それを見逃した原因は次のようなことであったろうと思います。
1)心にその気配を感じ、読み取るまでのゆとりがなかった。
2)物事はこうでなければいけないという自分の考えが強すぎ、意見を出させ聞いてあげる懐の深さがなかった。
3)その人が言った、あるいはそう行ったことの要因について、素直に考えてあげる配慮が足りなかった。
4)自らの計画や方針にとらわれ、常識や世間体の方を大事にしていた。
などだったと思いますが、この歳になると「あの時はそれどころではなかったのだ」、「精神的な強さを保つためには、そうあれもこれも対処できるものではないのだ」、「反省だけで固まってしまうと消極的になり前に向かう足取りが遅くなるから」などと自分に言い聞かせても解決にはならず、特に長らくマネージメントに携わった自分としてはその努力が足りなかったことを今になって感じるものですから辛いのです。

繊細な精神構造への回帰こそ自然の姿

こんな私の状態を、若い神経精神科医であればDSM-5(Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders – 5)などに則ってすかさずそれなりの診断をくだすかもしれませんが、その人もそれ相応の立場や年齢になるときっと私の心境が分かってくれるようになるでしょう。
今の世の中を眺めてみると、残念ながら、私たちの遠い祖先、例えば平安時代などの文化に見られる「自然を感じて生きていた繊細な精神構造こそが真の人間の味」などとはとても言えない社会になってしまっていることを皆さんも感じているのではないかと思います。国を挙げて「おもいやり」とか「おもてなし」という標語を声高に掲げるわりには、この日本でも自分のことを棚に上げてひとのことをあげつらい罵る風潮が強まる中で、せっかくのこの国の良さが流されていくのを感じ、この先いったいどうなるのか憂慮しているのは私だけではないだろうと思っています。
現役を離れてからあえて越したこの北国の田舎から今の社会を静かに眺めていると、人間が為した文化的、環境的な急速な変化と、生物としての人間の進化の間に、ますます大きな乖離かいり齟齬そご(mismatching、食い違い、不適合)が生じてきているのが非常によく見えます。幸か不幸かインターネットというツールを通すと世界の隅々まで眺めることができますので、ますますそれを強く感じるのです。大都会を中心にすでにその兆候は出ていますが、それこそ老若男女を問わずストレス症候群におかされ、社会が不活性で生産性の低い状態におちいり、居心地が悪くなっていくことが推察できるので辛いものです。

果たして後知恵バイパスによるものなのか

切り口を変えて考えてみると、過去の大きな見逃しを思い出し後悔するというような私のこの状況は、時間が経過したことによる後知恵バイアスHindsight bias(注)による思考の問題もあるのかもしれません。(注-2)末尾に解説
「実際にはそんなに心配するほどではないのだ、杞憂だよ」と思うと少しは気が楽になるのですが、そう自分に都合良く解釈して自分を慰めることをせずに冷徹に考えてみることがやはり人として必要と思って、今回このことをあえて記事にしたわけであり、これが大人おとなのなすべきことであって、この反省のエキスを次代の人達の肥やしにしてもらうべく余熱を燃やすことが大事だと改めて意を固めているしだいです。
人生ではこのようなことがあるから、神様は人間が老いたら余計なことを考えずに休みなさいということで、認知症というものを授けてくれたのかもしれません。もしそうであるのなら、慈悲深い配慮だと思いありがたく受けたいと思っています。

(注-2)あと知恵バイアス Hindsight biasとは:(一部Wikipediaより引用)
物事が起きてからそれが予測可能だったと考える傾向。この傾向は、政治、医療、ゲーム、あるいはマスコミ報道などでよくみられます。また営業戦術にも取り込む傾向が強くなってきていますのでこの傾向の中身を知っておくべきでしょう。
また、個人的にも自分が成功したとき、あるいは失敗したときなどに、「自慢」や「自分を慰める」時にも無意識的に行う人もいます。
後知恵バイアスに関する心理学実験では、事象の予測が当たった場合に被験者は発生前よりも予測が強かったと記憶する傾向があることが分かっています。事象の後に記録された予言などは、後知恵バイアスのよい例です。
このバイアスの原因を「可能性ヒューリティックス」で説明している人もいます。簡単に言うと、人間の心の中では、実際に起きた事象は起きなかった可能性よりも顕著であということです。ご興味ある方は「リンダ問題The Linda Problem」、「連言錯誤Conjunction fallacy」、「ヒューリックheuristic」などの言葉を検索サイトに書き込んで確認してみてください。
特に「リンダ問題」などの記事は、世の中の巧妙な営業戦術の罠にはめられないためにも若い人達にはぜひ読んでもらいたく思います。
この後知恵バイアスのことを「理屈と膏薬はどこへでもつく」と平たく解釈している人もいます。どんなことにも理屈をつけようと思えば、もっともらしい理屈がつくものだということですが、そんなに簡単な解釈ですましてはいけないと私は思います。
また、「起こりえたかもしれない別の事象」を検討することで、このバイアスの効果を低減することができることも知られています。もっともなことであり、このことの方が参考になります。
何はともあれ、人間というものは中途半端に脳が発達したせいか間違いを起こしやすいことは知っておくべきでしょう。視点は異なりますが次の本を読んでおくことも大事だと思い、ご紹介しておきます。秋の夜長の大事なひとときのために、どうぞ。
1)クリストファー・チャブリス、ダニエル・シモンズ、木村博江訳:
  「錯覚の科学―あなたの脳が大ウソをつく」 文藝春秋刊 2011年2月
  原題:The Invisible Gorilla and other ways our intuitions deceive us.
2)「脳と心の正体」 文藝春秋 2017夏 巻頭特集