目次

1.はじめに:人生の修復と再生
2.こころを喪失させる病
3.身体を構成する組織細胞の自己修復力
4.神経組織の生理機能
5.神経認知症候群について
6.認知症の社会コスト
7.神経細胞の修復、再生の可能性
8.研究から臨床試験、そして実用までの道のり
9.まとめ:意識下で天寿を全うするためにも
参考及び引用文献

1.はじめに:人生の修復と再生

自分の人生を、絵を描くようにその時々修復したり、さらには再生したりできるのであれば、どんなに助かるかと思うことが誰にでもあるのではないでしょうか。
修復であれば努力しだいではある程度は可能ですが、それでさえ「言うは易し、行うが難し」で、人のさがというものはたとえ自分のものであっても一筋縄ではいかず手強いものです。
ましてや再生、すなわちやり直すということになれば現実的には難しいと言わざるをえません。

人の人生を狂わすものの一つに「がん」という病がありますが、その治療動向については後述する本庶佑先生らの業績により、今すぐでは無いものの、だいぶ見通しが立ってきました。
それでは、人のこころの問題につながる高次脳機能障害、すなわち「神経認知障害群」の治療に関する最新動向はどうなのでしょうか。このことは、今の先端医療科学が抱える最大の課題と言っても過言ではありません。そんなわけで新しい年を迎えるに当たってこの核心的なテーマについてその動向を知り、自分達の人生とも照らし合わせて考えてみるのも決して無駄ではないと思いましたので、この事に関連する科学情報を解説しながら、その現状と見通しについてお話ししてみたいと思います。

2.こころを喪失させる病

人を支えるのはその人の「こころ」なのですが、その所在は「脳」であるということは皆さんもお分かりだと思います1)。その脳の基本的構成要素は神経細胞ですので、それが容易に修復したり再生したりすることができるのであれば人生の修復や再生も容易になるのではないかと期待したいのですが、さてその可能性はどうなのでしょうか。
後ほど具体的に述べますが、「認知症」は脳の機能障害によって起きる症候群・・・であり、これは「こころ」を失う状態になるということにもなります。言いかえれば、本来の自分というものが失われるということにもなりますので、もしこれが治療できたならば人の晩節も大きく変わってくるはずです。認知症の社会コストのことも後ほど報告しますが、この問題が解決されると個人的にも社会的にも非常に多くの面で良い影響が出てくると思います。

なお、よく間違われるのは「認知症」と「せん妄」です。これは原因や臨床症状が重なるところがあることから混同されるのですが、実際はこの二つは異なります。この双方をひっくるめて「神経認知障害群」と表されることもあり、一度この辺り知識を深めておくことも大事と思い、その関連資料2)3)を次にご紹介しておきますので後ほどでもゆっくりご確認ください。

 2)せん妄とは:https://www.tyojyu.or.jp/net/byouki/rounensei/senmou.html
 3)せん妄と認知症の違い、原因と症状:https://info.ninchisho.net/symptom/s80

3.身体を構成する組織細胞の自己修復力

生物を構成する基本単位は組織学的には細胞であって、その細胞の集団が組織となります。もちろん組織は細胞がただ集まった塊ではなく、その細胞達を結びつけ支える非細胞性の結合組織やそれら細胞達の代謝を助ける血管やリンパ管などで合目的的に構築された機能集団であって、そこを構成する細胞達は与えられた役割にしたがって秩序を持って活動しています。この秩序ということが大事なことであって、もしその構成細胞のどれかが秩序を持たず自律的に活動、増殖するようになるとそれは癌化(発癌)したことになります。

組織はなんらかの作用で傷害を受けるとそれを治そうという能力を持っています。この力を「自己修復力」といいますが、組織の種類によってその能力に差があります。すなわち外界の刺激に侵されやすい組織は自己修復力に富んでいます。例えば体表面の皮膚組織がそうですが、体内であっても口腔から肛門までの管腔内表面の粘膜組織や、呼吸器の管腔内表面の粘膜組織などは直接的に外界と接していると同じ状況にありますのでやはり強い修復力を持っています。

修復力が強いということは、そこの組織の再生力が強いということでもあり、それは生まれ変わりが旺盛だということにもなります。この分裂再生時に化学的あるいは物理的な異常刺激が持続的に加わるとそこに遺伝子変異が起きた細胞も発現しやすくなり、それが発癌ということにつながります。言い換えれば再生力の強い組織は分裂回数が多いだけ遺伝子変異が起きやすく、発癌の可能性が高いとも言えるのです。

それではここで細胞の寿命についてお話ししましょう。私たちの血管内を循環している血液中の赤血球の寿命は約120日、白血球は1~6日、小腸粘膜細胞は1~3日、骨は平均3ヶ月、皮膚上皮は年齢×1.5日などと、人体を構成する細胞総数約37兆個4)のうちの半分に当たる約15兆個が毎日再生されているといわれています。さらにそれら細胞内では蛋白質や脂肪が分解と合成(再構成)を繰り返しています。このように生体内では新旧交代も含めて様々な代謝の流れが組み合わさった総合的循環流があり、その秩序を支えるのが生体の恒常性機構(ホメオスターシス)です。この循環機構が乱れると「病気」につながり、途絶えることが「死」につながるということになります。
 4)人間の細胞数:https://www.tandfonline.com/doi/full/10.3109/03014460.2013.807878

4.神経組織の生理機能

先に述べた身体を構成する多くの細胞組織とは違って神経細胞(ニューロン)の再生力は強くはありません。それどころか、長い間、神経組織は一度壊れると再生しないとも言われてきたぐらいです。しかし、臨床の場では、適切なリハビリテーションを施せば時間は掛かるものの手足などの失われた抹消機能が改善することが立証されていました。これは神経線維が適切な療法により修復されからであり、近年その機序も明らかにされています。しかしその源となる神経細胞本体が損なわれると再生しないと言われ続けてきましたが、それがどうもそうでは無さそうだという研究結果が各種出てきて、その再生の機序などについて今まさに学術的に大きなテーマになっていますが、臨床応用にはほど遠いのが実状です。これについては後ほどもう少し詳しく解説しましょう。

その神経細胞の数ですが、主体を成すニューロンの他にその働きを補佐する数種のグリア細胞も入れるとその数は中枢神経全体で1,000億から1,200億の間と推定されています。その内、大脳皮質内に140億、小脳内に1,000億と報告5)されており、これらがそれぞれが出す神経線維でつながり合って全身くまなく複雑なネットワークを作り上げています。もちろんこのネットワークは生まれつきできているわけではなく、成長にしたがいその間の経験や訓練によって複雑系として立体的にできてくるものであり、そのためにこの機能的ネットワークの姿は定まったものはなく人それぞれということになります。言うなれば基本ソフトをもとに目的によって展開していくコンピューター内の電子回路のような様子と思ってもらえば良いでしょう。
 5)神経細胞数/脳の構造 http://bsi.riken.jp/jp/youth/know/structure.html

しかしこの複雑系の成長も病気や加齢によって停止、さらには縮小、崩壊していきます。
人の老化では、脳に次のような変化が現れます。
脳実質減少や脳室拡大による脳全体の萎縮(重量にして5~10%)、そしてその中では細胞数の減少や神経突起の変化も現れます。だからといって重要な場所に病変が起きさえしなければ通常の老化現象ではそれに並行するような知識の衰退は起きないようで、これは神経細胞やそれが作り出すネットワークに十分な余裕があるからと言われています。6)7)
このように脳神経組織は歳をとってもしっかり使い続けてさえいれば通常の生活に支障が出るほどにはおとろえないということなのですが、次に挙げることで起きる認知症せん妄は個人的にも社会的にも大きな問題となってきていることはご承知の通りです。

5.神経認知障害群について

認知症とは、一度正常に達した認知機能が後天的な脳の障害によって持続性に低下し,日常生活や社会生活に支障をきたすようになった状態をいい,それが意識障害のないときにみられるものと定義されています。それは、次の表-1に挙げた疾病によって発生する慢性あるいは進行性の脳疾患によって生じるものであって,記憶,思考,見当識,理解,計算,学習,言語,判断などの脳の多領域に渡る高次脳機能の障害からなることから症候群とされています。
今、社会では老化と認知症を単純に結びつけ論議する傾向がありますが、それは老化すると次のような病気の発症率が高まるということであり、老化そのものが直接の原因ではないということにご注意ください。

表-1)神経認知障害群(認知症起因疾患)
      (注)太字で表した疾患に起因する認知症が多い!

・アルツハイマー病 ・プリオン病
・前頭側頭葉変性症 ・パーキンソン病
・レビー小体病 ・ハンチントン病
・血管性疾患 ・他の医学的疾患
・外傷性脳損傷 ・複数の病因
・物質・医薬品の使用:麻薬、アルコールなど ・特定不能
・HIV感染  

(注)上表はDSM-5(精神疾患の分類と手引き)から引用したものですが、「日本神経学会認知症疾患診断ガイドライン2017」には上記疾患の他に進行性核上性麻痺、大脳皮質基底核変性症、嗜銀顆粒性認知症、神経現線維変化型老年期認知症などが記載されており、複雑性注意、遂行機能、学習および記憶、言語、知覚ー運動、社会的認知の6領域で有意な低下が示されることと定義されています。

6.認知症の社会コスト

次にこの社会に深刻な問題を起こす認知症について、社会コストがどのぐらい費やされているのかについて慶応大学の佐渡氏が報告したレポート8)を以下にご紹介しておきますので、その社会的視点からの実状をご確認ください。
 8)認知症の社会コスト報告書:http://kompas.hosp.keio.ac.jp/sp/contents/medical_info/science/201610.html

7.神経細胞の修復、再生の可能性

さて、話を戻して神経細胞(ニューロン)の本体が再生しないと言われてきた問題について現在の研究動向をお話ししておきましょう。
その仕組みについては今まさに世界の学会で様々な研究発表や議論が続いていますが、私からは皆さんにも分かりやすい次の2っの研究を取り上げ、その内容をご紹介しておきます。

(1)そのひとつはスイスの神経外科医Jocelyne Block氏の報告です。
彼女がTED GlobalーYouTubeを通して報告(2015年12月)していますのでその内容を講演の映像を通してご確認ください。
要旨:
『これまで脳組織は脳卒中や事故で傷つくと自己回復は無理とされてきました。
そういう中で、彼女は脳の皮質に存在するダブルコーティン陽性細胞に着目しました。
この細胞が活動しているのは胎児の時だけで、その後はほとんど働きません。またこの細胞を正常な脳に自家移植しても排除されてしまいます。しかし、損傷を受けた脳に自家移植すると、その損傷部位を修復する役割を果たすということをサルを使った実験で確かめました。
すなわち、傷ついた脳にダブルコーティン陽性細胞を自家移植することで、それらが正常な脳細胞になり、失われたそこの機能を補完することを確認したわけです。今後、この現象を臨床試験で確認し、その事実が立証されると、脳卒中などで正常な機能が損なわれた患者の治療に大いに役立つ可能性があります』
なおこの講演は日本語にも翻訳されていますので、次の演題名9)をクリックしてぜひご視聴ください。
 9)「脳が自己修復する可能性とその補助について」

(2)次に紹介するのは日本の東京医科歯科大学・科学技術振興機構(JST)の味岡氏等の報告です。
要旨:
ニューロンには細胞分裂するに当たってのブレーキがあり、そのブレーキとして機能している特定タンパク質を欠損させると分裂が起きるという内容です。
JSTではその概要を分かりやすく公開10)していますのでそれを以下にお知らせしておきます。
 10)「なぜニューロンは増えないのか?」~脳梗塞などで脱落するニューロンを分裂させて補充する革新的な再生医療への期待~(2017年9月19日)
 https://www.jst.go.jp/pr/announce/20170919-3/index.html

ご紹介した上記二つのレポートの中心テーマは「神経細胞の再生」ということです。注意して頂きたいことは「再生」と「修復」の違いです。「再生」とは失われた組織が新たに作り直され機能がもとに戻ることであり、「修復」とは傷ついた当該局所がそれまでの機能を果たせるように傷を治すということであって、そこで行われる組織反応の機序が細胞学的にも生化学的にも異なります。先にお話したところの損傷局所がリハビリー後に改善するということは、当該神経組織の修復であって再生ではありません。神経線維には可塑性変化(plastic change)する能力があることから、これが適切な運動療法という刺激の繰り返しで誘導されて、時間と供に以前の機能を取り戻すという機序です。11)
 11)石田、玉越、高松 「脳の機能回復と神経可塑性」理学療法学 第40巻第8号、2013

今のところこの神経の可塑性変化、すなわちこの変化による「修復」の機序は明らかになっており臨床の場で色々な工夫がなされて治療に貢献してきているのですが、「神経細胞の再生」についてはまだ動物実験段階であり、並行する山中先生のIPS細胞による細胞療法の進展に伴い、あと10年もしたら人間の脳実質を対象とした臨床試験も可能になるのではないかと私は期待を込めて思っています。

8.研究から臨床試験、そして実使用までの道のり

いままで長々と話をしてきましたが、科学的な裏付けが無いこの類いの話がはびこっている中で、このテーマについては根拠のある情報を提供する必要があると考えたことからであって、話が少々回りくどくなったことをお許しください。何はともあれ、今回取り上げたテーマが解決されるならば必ずや人の一生のあり方が様変わりするであろうと私は思っています。

冒頭でも述べましたように、今回、栄えあるノーベル生理学・医学賞を、テキサス州立大学MDアンダーソンがんセンターのJames P. Allison教授と共に受賞された、京都大学高等研究院・本庶佑特別教授の「がんの免疫療法」についての受賞講演を視聴された方も多いと思いますが、人類がこれまで待ち望んでいた癌の治療に明かりが差したと言っても良いでしょう。本題から少しずれますが、せっかくですからここでお二人の研究をもとに開発された薬の内容を簡単に説明しておきます。
その薬は、種類としては免疫製剤(免疫チェックポイント阻害薬)であり、いわゆる遺伝子組み替え技術による抗体医薬の部類に入る次の二つで、従来の化学合成医薬品とは異なります。
 (1)ニボルマジ(製品名オブジーボ)PD-1阻害薬
 (2)イピリムマジ(製品名ヤーボイ)CTLA阻害薬
治療対象は皮膚がんの1つである悪性黒色腫(メラノーマ)です。他に切除不能な進行・再発性の非小細胞肺がん、腎細胞がん、ホジキンリンパ腫、頭頸部がん、胃がん、悪性胸膜中皮腫などに処方されています。
薬効としては、治療後に、対象としたがんが縮小したり消滅したりする患者の割合(奏効率そうこうりつ)が2~3割と報告されています。このため働きの違うほかの治療薬と併用することで奏効率を上げ、副作用を低下させて生存率を高める併用療法が行われているのが現状です。この薬は日本の小野薬品と米国の製薬会社ブリストルマイヤーが共同で製造販売していますが、現在では世界的に数社が市場競争をしています。

これでお分かりになったと思いますが、本庶先生が受賞講演でお話しされていたように、これらの薬を実際の臨床の場で広く応用するためにはあと70~80%程の課題を解決していく必要があります。それは癌というものと、生体内の免疫機構というものの、双方の多様性に見合った薬と治療法を生かすために解決しなければならない課題がまだ数多くあり、それらを解決してはじめてがんを克服したということになるわけです。これらの課題が解決されて、がんの治療に広く使われるためには各国が力を合わせても早くてあと20~30年は掛かるであろうと私は思っています。微生物との戦いでさえ一世紀以上の年月を要してきたのですが、それであっても耐性菌の問題等々、実際の臨床の場ではまだまだ難題が残っていて、微生物の多様性、すなわち生命の仕組みにまだまだ翻弄されているのが実状なのです。

それでは本論である精神疾患の話に戻りたいと思いますが、この前に「がん」の話をしましたのでここで「神経系におけるがん」についても少し解説をしておきたいと思います。神経組織からのがんの発生は他の組織に比べて多くはありません。それは神経細胞の再生率が低いということに関係していると思います。しかしたとえそうであっても、他の部位と違って臨床的なやっかいな問題があります。それは、中枢神経系は大脳であれ脊髄であれ、そのまわりが骨で囲われていて、その中の容積に余裕がないということです。そのため、たとえ転移をしない限局性の良性腫瘍であっても、その成長に伴い骨腔内の内圧を上げることになり、それに伴い周囲神経組織の機能障害を起こすことにつながります。これは、脳出血などにより頭蓋内にできた出血塊が頭蓋腔内圧を上げて、それを早期に取り除かないとその支配領域に重篤な圧迫障害(麻痺など)が起きる機序と同じです。こんなことで先に表-1に挙げた動脈硬化や動脈瘤などの血管性疾患や、外傷性脳損傷で神経認知症候群の様々な症状を発生することに至るわけです。

また私の以前のブログや出版書籍1)でも説明しましたが、脳はその活動のために酸素やブドウ糖などを多く消費します。そのため脳実質を巡る血管(内・外頸動脈、脊椎動脈、前脈絡叢動脈など)が動脈硬化などで狭くなったり、心臓左心室から血圧の高い動脈血に乗ってきた血栓などがそれら脳内血管のどこかを閉塞させたりすると、短時間でその支配領域に虚血性機能障害が発生し、早期に適切な治療が施されないと認知症などにおちいることになります。
また体内に発生したがん組織から飛び出してきたがん細胞の多くは肺やリンパ節に引っかかり脳実質まで至ることは多くはないものの、肺がん、乳がん、消化器がんが脳内に転移することもあり、その脳内での増殖により、やはり麻痺やせん妄、認知症などが起きます。特に肺がんの転移が多いのですが、それは肺から心臓を経由して脳へ送られる血流量が多いことに起因します。

さて、がんの転移にせよ、先に表-1にあげた疾病起因にせよ、そこで発生する「神経認知症候群」の臨床上の問題解決には今後どのぐらいの時間を要するのでしょうか。確かに現状でも認知症のための化学薬品が出ており、臨床の場でもすでに使われています。しかしその有効率は非常に低く、それに比べて副作用が多く、そのために投薬を中止せざるを得ない症例が多いのが実状です。中には、せん妄を治療するために処方した医薬品をその副作用のため止めたとたんに認知症が改善されたというような皮肉な話も聞いています。
2018年6月に、フランスの厚生省がアルツハイマー病に使われている薬品を医療保険の対象から外しました。それは期待すべき効果が出ておらず、消化器や循環器への副作用が無視できないという医療経済効果からの理由とのことです。これは認知障害という症候の病理はそれぐらい複雑で、それに見合う、すなわち切れ味の良い医薬品はまだ無いという表れと解釈できます。

繰り返しになりますが、先にご紹介した報告11)にあるように末梢神経の損傷については、神経線維の可塑的変化を運動療法や行動様式の変更で誘導することで、症状が改善されることは臨床的にも理論的にも立証されて効果を上げてきています。しかし中枢神経実質内の障害を修復させる道はまだ目処がついていないのが現実なのです。
期待できるのは京都大学の山中教授が開発したIPS細胞を使った自家移植細胞療法、あるいは本法でご紹介した神経外科医Jocelyne Block氏9)やJSTの味岡氏らの研究結果10)です。
望むらくはやはり化学合成薬品なのですが、その理由は製薬工業的に品質が安定した製品を量産でき、価格も引き下げることができるからなのです。しかし、今までの動向からみて精神疾患用の化学薬品は作用機序と副作用の面からまだ道が遠いように思えます。研究レベルの面で効果がうかがえるのは細胞療法なのですが、まだまだ克服しないとならない難題を抱えています。それはその治療用製品が機能性を持った生きた細胞だからです。それを微生物や不必要な細胞、タンパク質などの不純物で汚染させずに量産するのには非常に高度な生産技術が必要であって、研究室レベルの技術とは格段の違いがあり、かつ生産や流通管理コストも高くなることから、これらの問題を解決するのには私自身の経験から判断しても時間が掛かるとみているわけです。
ぜひこの辺りの難題を国際的総合力でもって解決し、人類最後の課題と言っても過言ではないこの課題に花を咲かせてもらいたいと心から願っています。
それまでどのぐらいの道のりがあるのでしょうか。国を挙げて今以上に頑張ったとして、臨床試験も含めると50年、どんなに早くても30年はかかるのではないかと私はみていますが、さてどうでしょうか。このためにも昨今の国際問題は早々に改善してもらう必要があると思います。
以上、難しい課題について足早に語ってきましたが、内容をご理解いただけたならば幸です。

9.まとめ

意識下で天寿を全うするためにも
生物には、生まれつき自分の生命時間を測る機能が備わっています。これを体内時計と言うのですが、それをつかさどる遺伝子が細胞内にあります。この体内時計は次の三種類の時計で生体の生理機能を制御調整しており、おのずとその生物学的寿命も決まってきます。
中枢時計:大脳視床下部の視床叉上核に存在し、以下の時計の時間調整を行います。なおこの場所は昼夜の光に反応して機能しています。
末梢時計:上記中枢時計の調整を受けながら体内各所の器官組織のリズム(血圧、心拍、体温、ホルモン分泌、各種代謝、睡眠、行動など)を調整しています。
細胞内時計:DNA染色体の両端にあるテロメアで細胞分裂を調整しています。

他の生物と同様に人間も上記の時計で恒常性が保たれており、その寿命は有限です。
なお、正常な細胞は異常分裂を繰り返さないように細胞内のテロメアーゼという酵素が不活化されていることから寿命が有限になるのですが、がん化した細胞はその酵素が活性化されるので細胞の異常分裂が起こりだし、栄養補給さえすればその細胞は無限に増殖が可能となります。こんなことでがん細胞は栄養要求が激しく、体内においてはがん細胞自身が生理活性物質を出して近くの血管から支流血管を呼び寄せ自らに栄養を供給させるように自律的に行動します。

このような生命活動の中で、途中で病気や事故で自分の人間性を喪失することなく、決められた寿命を全うし、枯れるがごとく静かに最期を向かえることが一番の理想ではないかと私は思っています。
そのための障害になるのが、人生の途中で表1に記載したような神経認知障害疾患にかかることで自分のみならず周囲にも迷惑を掛けるようになることです。世の中にはこれらの疾患にかからず静かに逝く人も少なからずおられますが、そのためには生まれつきの素因もあるものの、基本的には日々の心掛け、すなわち生活の質を向上させ、自分に見合った生活(行動)を設定し、堅実にそれを守りきることが非常に大事になります。
身体を鍛え健康を保つということの中には脳神経系の維持管理も入りますので、それをしっかり続けることが、そうでない人との間に大きな差が出てくることになるわけで、言いかえると、いくら身体を鍛えても自分を正常に律することができる大脳機能を失うのでは、生きている意味が無くなってしまうということになります。
このような理由から、人生の途中でやむを得なく神経認知障害疾患にかかり脳に障害を受けた時には、本報で紹介したような先端医療技術が失ったこころを取り戻してくれて、回復した中枢神経系の健全な意識の下で自らが自らを制することができるようになる時代が1日でも早く来ることを願うわけです。
中には自分を見失ったほうが嫌なことも忘れ、死も怖くなくなるから、その方を望むという人もいるかもしれません。しかし、それでは他人や社会に迷惑を掛けることを肯定することになり、それこそ健全な人間の考えることではないと私は思っています。多くの人達が相互協力して、「あー生きていて良かった」というような人生を作り上げることを少しでも多くの人が目指してもらいたいと私は願っています。それがすなわち、この社会を良くしていく最善の道ではないかと思っていますが、皆さんはいかがでしょうか。

新年を迎えるに当たって以上のことを再認識していただき、神経認知障害疾患に侵されない体力づくりと生活設計の再設定に、あらためてご努力されることをお勧めします。

お読みいただきありがとうございました。

もうすぐ2019年です。皆様にとって健康で良い年になりますよう祈念いたします。

 

参考及び引用文献

1)高田紘一「良心はどこで生まれてどのように育つのか」 2018年5月、Amazon
   同上 「好奇心の過程とその功罪」2018年9月、MTCJapan HP, ブログ記事
2)「せん妄」:健康長寿ネット、公益財団法人長寿科学振興財団
  https://www.tyojyu.or.jp/net/byouki/rounensei/senmou.html
3)「せん妄と認知症の違い、原因と症状」:認知症ネット(株)エス・エム・エス
  https://info.ninchisho.net/symptom/s80
4)人間の細胞数:https://www.tandfonline.com/doi/full/10.3109/03014460.2013.807878
5)神経細胞数・脳の構造:http://bsi.riken.jp/jp/youth/know/structure.html
6)朝永正得「脳の老化/特集・神経系の情報伝達と記憶」高分子34巻10月号1985年
7)池田研二「生理的加齢の神経病理」 日本認知症学会 http://dementia.umin.jp/link4-3.html
8)認知症の社会コスト:Sado M,et al. PLoS one 2018;13(11)
9)Jocelyne Block 脳が自己修復する可能性とその補助について 2015年12月
10)東京医科歯科大学科学技術振興機構(JST)オンライン版 「なぜニューロンは増えないのか?」 2017年9月
  https://www.jst.go.jp/pr/announce/20170919-3/index.html
11)石田、玉越、高松 「脳の機能回復と神経可塑性」理学療法学 Vol.40 No.8、2013