1.インターネットの発展とその功罪

私は、最近、世界が急速に狭くなってきたとつくづく思わされています。
それは私が自分のウェブサイトに書き込んだ記事に意見を寄せる人達の範囲が地球規模で広がっていく様子からです。
今では、日々、どの地域(都市)の人達が、どういうシステムを通してどの記事を読んでいるかなど、多方面からの分析結果が分かる便利な電子ツールがあり、それをみていると世界各国の人達が私のウェブサイトに訪れ、記事を読んで頂いていることにビックリすると共に、やり甲斐のみならず責任も感じています。
サイトアクセス数からみれば、平均すると日本国内各所からの訪問者の方が多いのですが、海外からの訪問者も二桁台になってきており、日によっては日本からを上回るようになってきました。アジアでいえば当初は中国や韓国からでしたが、最近ではタイ、マレーシア、ベトナム、インドネシアなどからも訪問者やコメントの書き込みが増えてきています。
米国には知人も多いことから閲覧者がいることが分かるのですが、時には中南米や南米の人達も訪れていることが分かります。ブラジルには日本に目を向けている人が多いので訪れる理由が想像できますが、チリの最南端の都市など遠方の人が読んでくれていることを知り驚いたこともあります。
ロシアにはウェブ・アドレスが類似する医療組織があることから、そこから迷い込んで来る人達かと思っていましたが、どうもそれだけではなく直接来て閲覧してくれている人もいるようです。米国トランプ大統領の選挙中でしたが、ロシアからのいわくありげなスパムが突然大量に届き、それがしばらく続いたことから、あれは米国内でのその後の当該問題と何か関連あったのではないかなどと勘ぐったりしたものでした。
欧州ではドイツやフランスから定常的に訪問者がありますが、話題によっては英国、スイス、スペイン、北欧などからの訪問もみられます。英国がEU離脱で騒いでいる当初に、私がその事について論評した記事(注)に対して英国(イングランド)からの閲覧者が突然多くなったことがあり、その悩みが推察できました。きっとだれかが極東の人間がこんなことを言っているぞと紹介したのでしょう。
(注)『2016年を振り返って先を予測する(国際情勢の観点から)』2016/11/28
最近ではルーマニアやポーランドからの訪問者があり、うれしく思っています。

不思議に思うのは、私はブログを日本語で書いて発信しているのにその記事を読んでくれているということです。当初は、その記事について具体的な意見や質問がその記事の応答欄を通して英文で届いたときには、英文で答えるようにしていましたが今は止めています。それは、2,3の人から「貴方のウェブサイトを私のホームページに加えても良いか」とか、「貴方の記事を・・・のために使わせてもらいたい」という趣旨の要請に対して、私から「悪用しないのであれば、有効活用しても良いですよ」などと友好的に返信したりしていたところ、それが原因かどうかは分かりませんが大量の不審な、あるいはいかがわしい書き込みや、あきらかに自分のウェブサイトの閲覧数を上げるための裏工作的な書き込み、すなわち「スパム」が急増したことから、今はあえて日本語一本にして、かつ余程の大事な問い掛けや意見でない限りしばらく返事を書くことを止めて様子をみていますが、スパムが減る傾向がありません。
また当初は届いた意見を私の記事の下に続けて公開もしていましたが、その数が非常に多くなりページを余計に使うようになったことと、公開した人達にスパム被害を拡散させないためにそれも止めました。相手をおだてておいて利用する手を使うなどスパムも巧妙ですので、それらの確認に時間を取られたくないことも返信を中止している理由ですが残念なことです。そういう弊害があるものの、自分の書いた記事が多くの人達に読まれ参考にされることは、書いた本人にとって姿勢を正す刺激にもなり、ありがたいことだと思っています。

ただ一番心配なことは、諸外国で読者数が増えてくると私の言わんとしていることが本当に正しく相手に伝わっているのかどうかということです。曲解されないよう文章の書き方にも工夫をするようにしていますが、もともと私の日本語はあまり易しくなく、中には専門用語や古いことわざなどもけっこう使っていますので、はたして理解できているのか半信半疑なのですが、海外読者から「理解できない」というような指摘や苦情は今のところ来ていません。私が欧州に滞在していたときに、日常会話ではなく会議などで現地年配者の話の解釈に苦しんだ経験があることから、どうも不思議です。

時には海外のプロのブロガーらしき人から、もっと沢山の人が訪れるように面白い記事やタイトルの工夫についてのアドバイス(?)も来ますが、私は商売としてブログを書き公開しているのわけではないので、あえてそれらに乗せられて面白おかしくしていくことを控えています。年配者として一番大事なことは、次代の人達に考えてもらいたいテーマを素直に、誠実に書いて提供することだと思っているからです。
私のこの考えを酌んでか、「貴方の意見はためになる」、「この記事を友達に紹介した」、「弟にも読ませた」、「自分の父からも同じようなことを聞かされてきた」というような主旨の書き込みが届き、その文面から確かにその記事の内容を読み取っていることが分かり、驚きかつうれしく思っています。
注意して調べてみると、書き込みの入り口となっている当方の記事の表題が同じであったり、あるとき突然に同じ都市から数十人の閲覧者があったりしますので、誰かのSMSでの紹介や引用記事を通して私の記事に入ってくる人達も少なくないと思っています。また進化したRSSフイードなどを利用して入ってきているのでしょう。

当初は誰かそれなりの翻訳レベルの高い人が介入して流しているのかと思ったこともありましたが、閲覧し、書き込んでくる人達の国の言語が英語だけではなく多様であることから必ずしもそうでもなさそうです。このことから電子的国際交流の状況に詳しい知人が言うには「今はGoogleなどの自動翻訳機能のレベルが上がっており、日本語が読めない人達でもある程度のレベルで読みこなすようになってきていると思って良いだろう。返事もよほど複雑な内容でない限り無理して英語で書くより素直な日本語で十分ではないか」とのことでした。
私は最近、海外に出ていないことから、自分のウェブサイトを国外で開いた場合にどういうブラウザを通してどう読みこなしているのかをより詳しく知りたいと思っています。

こんなオープンな状態ですので、一方では前述のスパム書き込みが毎日何件か入ってきますが、使用しているウェブが世界展開しているシステムであり、セキュリティーもしっかりしていることからスパムもブロックし、それらが私宛てに全て報告され自分でも確認できるので助かっています。
しかし、個人的には、特に海外における自分の記事の無断引用、転用は知るよしもなく、防ぎようがありません。前述のように良い意味で活用してくれるのであれば問題にしないのですが、今ではちょっとPC技術のある人間であればブログ原稿のコピーや改変は難しくなく、私のウェブの分身、化身がどこかで一人歩きし、稼ぐネタになっているかもしれません。買いかぶりかもしれませんが、その化身がDemagogy, Fake, Hateに加担して、善良な人達に迷惑を掛けたりしていないかなどの心配があるからです。
これがすなわちインターネットの世界の弊害であり、悪用されることで人様に迷惑を掛けることがないように十分な注意が必要と思っています。

一方、私自身にとって好ましく思えることは、東南アジアや東欧などの発展途上国の人達からの率直な意見が増えてきていることであり、それを通してそれらの国々に夜明けが到来していることを強く感じることができることです。少しずつ経済レベルも上がってきているからでしょうが、国民が外向きになり他を知ろうとする雰囲気が出てくることは大変好ましいことだと私は思っています。
当初は、日本の次代を担う若者達のためにと思って発信しだしたブログだったのですが、それに海外諸国、中でも発展途上国の人達が反応し、読者が増えていることは予想外の現象ながらも、自分達の若い頃のことを思い起こせば理解出来ることでもあるのです。

省みれば、先の大戦で経済的のみならず精神的にも打ちのめされた日本国民が立ち直るに際して先ずは目標としたのがかつての敵国で、国際的な戦勝国ともなった米国であったのは自然の流れでした。
それは、終戦後次々と戦地から引き揚げてきた日本人は、数が分かっているだけでも629万人強(軍人・軍属310万人、民間人318万人)、国別にみると中国本土から104万人、東南アジアから66万人、旧ソ連から45万人でしたが、中でもソ連や中国に抑留されて捕虜収容場で洗脳教育も含めて長期間過酷な時を過ごして生き残り、帰還した軍人、軍属、そして満州、樺太などから引き上げてきた民間人達は、その苦しい体験から米国の進駐軍とその占領政策についても同様に心配していたものの、その扱いが恐れていたほどでないことが分かり、かつ時間と共に日本に力を付ける方針に変わっていったことから在留邦人共々心が開いていったということもあったと思います。
その大戦の最中(1942年)に生まれた私などは敗戦直後の進駐してきた米国兵や米軍属を子供の頃から身近に見てきましたし、当時の米国の雑誌や商品などをみて子供心で驚きかつ羨望の眼差しで眺めていました。もちろん大人達の中には憎しみをあらわにする人達がいたことも承知の上でです。
ともかく、荒れ果てた国家の中で国民は困窮で喘ぎながらも、米国や国連等の支援もあって立ち上がるべく総体で汗したわけですが、その中で心ある若者達は世界に目を向けて、それこそ貪欲にものごとを吸収し参考にしていった時代でもありました。ちまたでよく行われたニュース映画会などでは、超満員の中、つま先立ちで、食い入るように国外の情報を観て吸収したものでした。
その内に海外の状況を紹介した本、例えば北杜夫さんの「ドクトルマンボウ航海記」とか、小田実さんの「何でもみてやろう」など色々な本が出版されるようになり、それらをむさぼり読み、世界に思いをはせました。江戸末期に黒船が到来し、心ある若者達が触発され、禁を犯してまで世界に飛び出した気持ちが、私たちの青少年時代の思いと重なったのでしょう。

このような明日に向かっての好奇心が日本の青少年の間に海外の人達と手紙で交流を持つペンフレンドという活動をも広げ、私なども辞書を片手にそれに熱を入れた時期がありました。最初は、フランクフルト(ドイツ)の女性に戦後の状況について拙い英語でたずねて、それに返事が来たときには大喜びしたものでした。
その後、願い叶って勉強や仕事で海外に出る機会に恵まれ、様々な国の人達との交流を通して多くのことを学び、見聞を広めることができたのは、自分にとって大変有意義なことであったとありがたく思っています。
それは、過去の狭い知識や経験から一方的な見方や、特定の情報で物事を判断することがいかに危険で愚かなことなのか、身をもって知ることができたからです。

自分の経験談に入ってしまうと話は終わらなくなりますのでこのくらいにしておきますが、ともかく今の若い人達に伝えたいことは、全てのことについて、拡大鏡(ミクロ)と望遠鏡(マクロ)の双方の観点から情勢を実践的行動の中からつかみ取ることは物事を為すにあたっての基本的な心構えであって、このことは感情に押されてついつい忘れがちな失敗の本質の最上位に当たることとして心得ておくべきことなのです。
これまで私が各所で言ってきたこと、すなわち「知っていることと、できるということは大きく違う」ということを、身をもって芯から理解し、身に付けることの価値は皆さんが想像する以上に大きいことなのです。
ぬるま湯的環境の中で自分の好きなことだけに浸っていたり、自らの心がけで対処できるはずのストレスに負けてしまったりしているときなどには、このことの重要性を感じなくなるので、当人のみならず周囲の人達もないがしろにせずに注意しなければなりません。
自然界において、樹木などは勢力がある時には自らが害虫や病害を防ぐ機能を発揮して成長していくのですが、その自己活力(抵抗力)が衰えると不思議なぐらい待っていましたとばかり病害虫が取り付き、日に日に衰え、時が経つと無残な姿で倒れていきます。やはり基本は自分自身を強くするためにはその内面にある自らの防御機能を高めることが必須のことなのであり、それを理解し自らに科すもとになるのが当人の「見識」であって、その見識を広め高める原動力になるのが若い内の前向きな行動なのです。

話を戻すと、日本の読者から私の書籍についての感想はあるものの、ブログ記事に対する論評などの反応は無く、海外からの反応と大きく異なります。もちろん国内においても読んで頂いていることは分かっているのですが、関心の矛先がいささか違うようなので気になります。日頃、衣食やアニメ、ゴシップ、フェイクなどに飛びついて書きまくっている人が多いという傾向をみると、海外、中でも発展途上国の若い人達の反応との差を強く感じ気になるのです。
このようなことから、今回は掲題に挙げた「ほんとうに世界は狭くなった」とつくづく思っていることを通して垣間見える現代の日本の若い人達の目線や興味、行動の違いについて感じたことを書いたしだいです。

2.そういう状況下で心掛けないとならないこと

そうなると気をつけなければいけないことは、先ずは記事を書いている私自身のマナーです。感情にまかせて調子に乗って浅学なことを書くと、読者に不信感を与えると同時に、日本人とはこういう考えをしているのかと思われる危険性があります。「盗作」や「偽証」などについては言うまでもないことなのですが、他に注意すべきことは「根拠の無いこと」、「恣意しい的なこと」、「その地域や国の文化を中傷誹謗すること」、「宗教・信条についてその歴史と背景について深く知らないのに批評すること」、「思想誘導すること」、「無意識の偏見Ann Conscious biasということ」などです。
最後に書いた「無意識の偏見」については日本国内においても近年やっと話題に上がるようになりましたが、ともすると侵しかねないことなので特に気をつけるべきことなのです。
以前にも引用したことのある仏教界の教えなのですが、「言葉というものは、その使い方を誤れば刃物のように相手を傷つける。しかもそれは両刃の剣なのでそれを発した自らも傷つくということを忘れないように」というような主旨なのですが、文書もまさしく同じことが当てはまると思っています。それどころか、自分だけではなく、自分の存在する場や社会、国家の品位まで疑われる危険性があるのでないがしろにできません。
世界史の中にはこのようなことが原因となって国際紛争にまで発展したことが多々ありますので、軽はずみな言動は慎み、常に紳士、淑女たれということを大人の世界の常識としなければいけません。自由ということをはき違えて、この辺りのことについて暴虐無人な言動が相変わらず飛び交っている風潮を私は強く心配しています。

3.これからの若い人にお願いしたいこと

以上述べてきたことを通して 皆さん、中でも次代を担う若い人達に私があえて伝えたいことをまとめますと次のようになります。
それは「目の前の現象を見たとき、必ずその川上にある源(みなもと)に思いを巡らすとともに、その川下にも思いを馳せ、その潮流の全体像とその変化(歴史)を学び取ることができるような人間になってもらいたい」ということです。
例えば、この川上ということを先進国、川下を後進国や発展途上国と置き換えてみて、政治・経済や科学技術・工業などを比較しながら世界の現状と歴史の変遷(潮流)を知ることはその人に非常に大きな見識を与えてくれるものなのです。
それとともに「先進国」とか「後進国あるいは発展途上国」とはいったい何を指して言っているのか、はたしてそれが全ての優劣を指して言っているのかということについてもです。過去に私自身が海外に在住していて感じたことは、旅行者として感じることと実際にそこに住む資格を得て、現地の人達の仲間入りしたときに受けることとは大きく異なるものがありました。そして、それがまた国によって違ってくるということから実際の真実というものは立場や見方によって大きく変わってくるということを知識ではなく実践的に会得する必要があるのです。
「群盲象を表す」ということわざを忘れないようにしてください。
このことが、私たちがともすれば囚われやすい「迷い」、「恐れ」、「偏見」、「妬み」、「怒り」「慢心」「傲慢」の淵から自分を遠ざけてくれることにつながっていくのです。
大事なことなので言葉を重ねますが、このようなことが自らの「人間性」を成長させるということに連動していくことでもあり、世の中の問題点を見抜く力を付け、改革を進める原動力となるということを忘れてはなりません。

確かに、若い目線でみると今の国内情勢は政治、経済、学術などの中におかしなことがたくさんあることに気が付くと思います。しかし、それはミクロの面からの情景であり、マクロの面から過去も含め俯瞰的にみるとまだ危機的状況とは言えないのです。世界情勢についても心配なことが多々ありますが、私からみると大同小異で、それでも大方はもがきながらでも前進しているのが分かります。
もちろんこの状況を「良し」と言っているわけではありませんが、このような時こそ軽率な行動を控え、これで良いのかをしっかり見極めることでその良し悪しを咀嚼し、自分達の明日に活用出来るように身体にしみ込ませてもらいたいと思います。

内向き思考で、消極的に留まって自分達が好むことにだけ馴染んでいると、今後10年、20年経つと後から押し寄せる海外の若者達に追い越され、寂しく、愚痴っぽい老後を迎えることになりかねないのです。
既得権益にしがみつく一部の年配者や、それらに感化あるいは操られる人達の見苦しい言行には私も確かに腹立たしく、かつ虚しく思うことも少なくありません。ですから、若い人達も見聞きする産官学の現状やそれを軽々に批判だけするマスメディアに対して不信感を持つのは致し方がないことだと思っています。しかし、それらの人達が自分達の社会的問題点に気が付かず相変わらず愚行を続けるのであれば皆さんはそれらに気を取られずに、他山の石として明日に向かって改革の力を蓄える方が賢いのです。
皆さんの明日は否応なく多様性が増し、今までとは違った世界になるはずです。よって現状にとらわれあせっては路を踏み外します。先ずは、先に向かって慌てずに言行を磨き上げ、基本的な仕組みづくりに夢を描くべきです。
本稿を読まれたことで、あらためてこの世界を眺望し、その潮流を悟り、自分達は実際に今何をすべきかをしっかり見極めてもらうことを私は強く願っています。
まとめとして皆さんに、次の古代中国の格言を進呈します。
「知彼知己、百戰不殆」⇒「彼を知り己を知れば百戦危うからず」
英文意訳:If you know your enemy and know yourself, in a hundred battles you will never be defeated.