欺瞞という言葉が持つ奥深さ

欺瞞ぎまん」という言葉からは良い感じを受けないでしょうが、中々奥深い言葉でもあるのです。
そんなことから類義語も多く、「欺騙きへん」、「瞞着まんちゃく」、「ぺてん」、「虚説」、「誤魔化し」、「虚偽」、「詐欺」、「あざむき」、さらに解釈を広げれば「奇策」や「はったり」なども入るでしょう。
古今東西、人間の歴史に付随して生まれ出てきた言葉だからでしょうが、法律などの分野で調べるならばもっとあるのかもしれません。
「ぺてん」などはすでに日本語化していますが、中国語の「繃子bengzi」が語源だそうで、「詐欺」の意味があるとのこと。また、「カモフラージュcamoflage」はフランス語ですが、日本でも日常用語となっています。英語では「deception」が頭に浮かびますが、調べてみると「falsity」、「subterfuge」、「swindle」、「treachery」、「trick」などがあり、それら各々の語源に人間社会の色濃さを表す背景が感じられます。もちろん「camouflage」も仏語と発音は異なるものの、つづりはそのまま世界で通用します。

古来、権謀けんぼう術策じゅっさくをめぐらせた権力争いが盛んであった昔の中国、イスラム、インドそしてヨーロッパ諸国の古典の中には、この「欺瞞」の策が色濃く塗り込められているのを感じます。
つい最近では、「alternative facts 」という言葉が国際ニュースを賑わしましたが、素直に受け取れば「もう一つの真実」となるものの、これが何やら言い訳がましい裏のある言葉になってしまいました。それは、米国トランプ新大統領就任式に集まった観衆数について、ホワイトハウス報道官S.M Spicer氏が根拠に乏しい発言を行ったことに対して、新大統領顧問Kellyanne Conway女史が、それを擁護するためにマスコミに対してこの言葉を使ったからです。
そう言えば、過去にその真実の意味として広まった言葉「不都合な真実 An Inconvenient Truth」は地球温暖化に関するドキュメンタリー映画のタイトルで、これで彼の米国副大統領Al. Gore氏がノーベル平和賞を得たのですが、近頃再度この言葉が国際ニュースの中などによみがえっており、米国新大統領のまき散らす話題に事欠かない今日この頃です。

しかし、物事を俯瞰ふかん的に見ていれば分かると思いますが、世界を駆け回る情報の多くは昔から根拠のないもの、すなわち今流行の言葉で言えばfake(偽物、偽造、やらせ)がほとんどであり、国民や大衆のためと言い張るマスコミの情報でさえ客観性や正確性に欠け、作為的なものが多いことから我々一般人としてはまったく油断できないということは周知の事実なのです。
民報TVの収入源となるコマーシャルもますますひどい内容になってきています。例えば私の専門からみると健康食品や健康機器の非科学的な内容には目に余るものがあり、費用対効果もさることながら、健康被害を心配させるものがあるからです。
そうであるはずなのに人はどうしてそれを真に受けて騒ぐのでしょうか。故意にfakeを利用しているのならいざ知らず、それに振り回されて貴重な時間やお金を費やしているのは愚かなことと悟るべきで、最初から無視すれば良いのですが、それができないのが人間のさがなのでしょうか。

ましてや各国が政策的に発信する情報の多くは、冒頭に挙げた同義語のどれかに当てはまる内容が含まれているということは遠い昔から当たり前のことなのですが、それは、自国を有利な立場に持っていくための施策が秘められているからなのです。これを表からみると「情報戦略」、裏からみると「謀略ぼうりゃく(はかりごと、たくらみ)」となり、双方表裏一体と考えるべきなのです。
諜報ちょうほうと謀略を駆使して安全や勝利の道を探る活動をインテリジェンスIntelligenceと言うのですが、このように直接的な言葉で書けば物騒に感じますが、実際には国家間の争いでなくとも、企業や官公庁などが普段から日常的に行っている活動の多くがこのインテリジェンスそのものなのであって、個人もそれに気を配りながら日常生活を維持しているのが実態なのです。そしてそれが上手か下手で人間関係、業績、昇進などが左右されるというのが現実なのではないでしょうか。
人間社会におけるこのテーマについての掘り下げについては後編で行うとして、この前編ではこの本源となる生き物の世界におけるその実態について以下に説明しておきましょう。

フランス語の「カモフラージュcamouflage」は、偽装とか扮装(敵の目をくらますために迷彩を施したり、本当のことや本心を悟られないように人目をごまかしたりすること)という意味を持たせて皆さんも使っていると思います。例えば本稿の見出し画像に使った迷彩模様も、今では軍用だけではなく一般の服装や日用品のデザインとして各所で目にします。一方では、粉飾、模倣、欺瞞ぎまんなどの意味を持たせて人や物事の可否判断や批判などに使われていますので、ないがしろにできない言葉とも言えるでしょう。
生物学の世界ではこの言葉をmimicryとかmimesisと称し、日本語で表すと「擬態ぎたい」となるのですが、馴染みのない方はこれを一般用語で「変身」と捉えるとイメージがつかめるかもしれません。

今回なぜこれらの言葉を取り上げたかということですが、冒頭でも述べたように今の社会をみるとこれらの言葉で表されるような事象があまりにも多くなってきており、昔と違って報道しなくてもよいようなことがまたたく間に世界を駆け巡るという環境になってきていることから、それが「素直では通用しないのか」、「正攻法では生きられないのか」、「正直者は損をするのでは」などの不安感を煽り、いらざる悩みを抱えるようにもなり、それが高じてこの世が嫌になったり怒りに取り付かれたりする人達が増えてきているからです。中でもそれが次代を担うべき若年層に広がっていくことは社会病理学的に困った問題と捉えなければならず、これはまさしく情報化社会の副作用の典型的な症状と言わざるを得ないのです。

世の中を長く生きてきた私なぞからみれば、このような社会現象は元々人間活動の一つの姿なのだと客観視できるのですが、さりとてこのように重要で深刻な問題を当たり間のことのように簡単に話してしまうと人によっては身も蓋もないと受け取られ兼ねず、特に若年層の人達のためには良くないと思い直し、この本質について少しでも理解してもらい感化されないようになってもらうためにも、それをこのブログを通して解説することにした訳です。

自然界では偽装や欺きは生きるための本能的なすべ

先ず、皆さんが疑いを抱かない自然の有様からの話ですが、その世界では「カモフラージュcamouflage」すなわち偽装とか扮装は日常当たり前のように行われていることを知ってください。これから昆虫や動物界の実態を説明しますので、それで皆さんの認識を再点検してもらいたいと思います。
ともかく間違いない事実として言えることは、生物が長い進化の歴史の中で、生き残るために身に付けたわざの一つがこの擬態であって、これに磨きを掛けて駆使できたものが存続できたと言えるのです。言うなれば、この擬態という戦術は生物の遺伝子や細胞形質の中に刻み込まれた基本的な能力と言っても過言ではないのです。擬態とはただ姿形を変化させることではありません。ではこの技はどのようなものか、幾つか説明してみましょう。

ここに掲載した写真をご覧ください。
昨年秋でしたが、我が家の庭にある植物「ライムライト」(ユキノシタ科落葉低木:アジサイの一種)の根元に黒い円筒形(短径2㎜、長径3~4㎜)の小さな物体が幾つか散らばっているのを見つけました。それを良く観ると、実がついたトーモロコシの乾燥穂軸を切断したものを縮小したようなものでした。よくあるアマガエルやカタツムリの単純な形状の排泄物ではなく、その特徴のある外観から大型の蝶(例えばアゲハチョウ)の幼虫の糞ではないかと思いましたが、アゲハチョウはアジサイ科の植物を食べないはずだと思い直し、さて何者なのかと興味がわきました。
きっと、その上方にそれを排出しているものがいるはずだと思って葉や茎の間を探しましたが、中々その落とし主を見つけ出すことができませんでした。その翌日も、食べられている葉を目安にして探し出そうとしたが、それらしい食べかけの葉は無く、所々に枝から分岐する短くなった葉の付け根だけ残っている様子から相手は余程の大食漢のように思えました。
新たな糞粒は毎朝見られることからどこかにいるはずなのですが、茂みが邪魔になってどうも見つけられません。それではと、今度はめぼしい箇所の葉を注意深く一枚ずつ切り取って茂みの内部を観やすくして探していきました。その結果、やっと見つけたものがこの写真の主でした。大きさは手の小指ほどで、軽く触れてもじっと動かず枝にしっかりしがみついていました。
色合いや体表面の模様は近くの葉に似ていることから、ちょっと見ただけでは区別がつき難く、まさしく保護色であり、簡単には見つけられなかったことが分かりました。
外観から蝶か蛾の幼虫であろうということは分かりましたが、そのどちらの何者なのかをこの方面に詳しい友人に写真を送って調べてもらった結果、「すずめ蛾」の中の「ブドウスズメ」の幼虫だという返事がきました。そしてこの幼虫は写真から判断して終齢期に入っており、この後は秋の深まりと共に蛹(さなぎ)になるだろうという添え書きがありました。

我が家の庭には春から秋にかけて様々な昆虫や小鳥達が飛来しますが、中には中南米のハチドリのようにホバリングをしながら口吻(吸収管)を真っ直ぐ伸ばして花の蜜を吸っている胴体が小指大のスズメ蛾が来ていることは知っていました。ですから「なるほど、あれがここに卵を産み付けていたのか。あの親にしてこの子だからサイズが大きいはずだ!」と納得できました。この幼虫は、「擬態」のモデルとしては紹介されていないことから、昆虫界でその道の名人としてランクインされていないのでしょうが、それであっても私もさることながら鳥など捕食者達からも見つかり難く、翌朝にはその場所からまたどこかに雲隠れしてしまいましたので、「お主、中々やるのう!」と感心した次第です。

だましのテクニック

それでは、この擬態の技、すなわち「だましのテクニック」についてもう少し詳しく説明しておきましょう。先にも述べたように動物の形や色が何か他のものに似せることを擬態と言いますが、そのやり方によって生物学的には大きく二つに区別されています。
その一つは背景に似せて目立たなくする方法で、これを「隠蔽いんぺい的擬態mimesis」と言います。もう一方はその逆に、よく目立つようにすることで敵や獲物を騙す方法で、これを「標識的擬態mimicry」と言います。
前者の技がうまい身近な代表例は、尺取り虫ナナフシで、木の枝にそっくりとなって鳥などの捕食者から自分の身を守ります。コノハチョウなども木の葉そっくりの形と色で敵からの難を逃れます。
行動と姿をくもに似せたありや、花びらと見間違う姿のハナカマキリなどは、その技を使って餌となる昆虫を騙し、捕まえます。これには姿を似せるだけではなく、その微妙な動きや紫外線や赤外線などの光の波長を利用した変身、さらには生理活性物質(ホルモン様物質)を使った誘引行動などを駆使して目的の効果を高めます。
多様な生物の宝庫と言われる東南アジアのジャングルの中にはこれらの多くの名人が存在し、その極意が自然番組の中でよく紹介されますが、きっとアフリカ、中南米、南米の熱帯のジャングルなどにもさらなる忍者達が多数存在していることでしょう。
これらの技は、昆虫だけではなく、魚類、両生類、爬虫類、鳥類、そして哺乳類などの動物達、さらには植物界と、生物の世界では当たり前のように見られ、その技を持たないものは存在しない、言い換えれば生き延びられないと言っても過言ではないのです。
皆さんも気づいていると思いますが、河原にいる小鳥の卵やそこから孵った雛達は皆それぞれみごとな迷彩模様を装っており、周囲に溶け込む保護色により成長するまでの一定期間を捕食者から巧みに逃れるような容姿で過ごします。もちろんそれでも事足りずと親は確率論的に産む数を多くしたり、育てる場所を目立たなくしたり、捕食者に気づかれないように子供の排泄物を親が食べてしまうなどの各種偽装を凝らしているのが自然なのです。

こんなことで特別の毒やトゲなどの防衛手段を保持していない限り目立つことは自然界では命取りになるのです。その一つの例として、自然界においてメラニンの生合成に係わる遺伝情報の欠損によって時々出現するアルビノ(白化個体、白子)ですが、その遺伝子異常による障害もさることながら、通常の自然環境内では目立つことから捕食者の餌食になりやすく、存続が難しいのが一般的なのです。

一方、あえて目立つようにする標識的擬態mimicryには、毒を持つ本物の動物をまねた警告色をとるもの(ベーツ型擬態)、種類の異なる動物と同じような色や形を持つことで集団として敵を混乱させる(ミューラー型擬態)、餌や花に似せて身体の一部を変身したり動かしたりして餌となるものをおびき寄せ攻撃する(ペッカム型擬態)などがあり、これも動物界のみならず植物界にも様々なやり方で存在しています。

植物は動けないがゆえにその技は戦略的

植物の世界で子孫を残すために当たり前に行われている日常的な技を梅の木を例にして説明してみましょう。その果実は未成熟の段階では外観は葉の色と同じで目立たず、その実は固く、酸っぱく、鳥や動物は食べません。もし、それを食べると体内で猛毒化する青酸配糖体が含まれていることから、その動物はひどい中毒を起こし、時には死に至ることがあります。きっとこのことを事前に何らかで探知できるのか、群れの中で伝わっていくのでしょう。時が来て実が熟すと魅惑的なアプリコット色に変わり、良い香りを放ち、木はその実を落とし動物達を誘います。そして食べられた実は消化され、外皮がとれた種は動物の消化管を経由して別の場所に運ばれ、土に落とされ冬期を経て次の発芽の準備に入ります。梅だけではなく、多くの植物はこのように自分達の繁栄のために様々な機能的変身の技を駆使していることは、自然の見方を工夫すると皆さんでも気が付くことが沢山あるはずです。

人間と他の生物は外界の認識の仕方(視覚、臭覚、聴覚など)が異なることから、私達から見れば目立つ、あるいは反対に目立たないと思われる色彩や容姿であっても、彼らの対象とする相手からはまったく違うように見えたり感じたりしているということが解明されてきています。
ですから、生き残りのための自然が作り上げた仕組みは非常に複雑であるということをぜひ知っておいてください。
このような擬態、すなわち生物の生存するための技について事例を説明していくと厚い本になってしまうのですが、本稿はそれが目的ではないことから、興味ある方は、先に挙げた擬態の技のキーワードをインターネットの検索サイトに書き込むなどしてその当人達の様子を調べてみてください。きっと面白い事実を知ることができるでしょう。

このように擬態というのは、生物が長い進化の歴史の中で獲得した生存のための仕組みであり、形態だけではなく機能(動き、匂い等々)も備わっていて、人間からみれば驚くようなものであっても野生のもの達からみれば日常無くてはならない生き方(機能)そのものであり、特別のものではないのです。
また、それらが作る巣や周囲環境も、自らの擬態を活かすような場所をえらび、その環境も合わせてこれまで述べてきた擬態の仕組みが施されることが多いことから、普通の人はその巧妙さに騙されるのです。ただし、それらを確保することを生業とする人達は、その偽装の自然との微妙な違いを見抜くことでその対象物の存在を見つけるという、裏の裏をかくことが獲物の収穫に繋がっているということもあるのです。

世界各地に残るいわゆるネイティブの人達、あるいはその道の猟師や漁師は、それが巧みか否かが生活に直に影響することからその能力が今でも保持し活用している人達もいる反面、現代人からはその感覚がどんどん失われていっています。しかし、現代生活では使われずに残る自分でも気がつかないその自然の鋭敏な感覚が、時には異常反応として本人の日常生活を脅かすような方向に表れることがあり、それが内容によっては精神疾患として診断されるようなこともありえますので、人のマネージメントに当たる人はその要因や対策について注意が必要であることを忘れてはなりません。(*聴覚、視覚、触覚、臭覚などが一般人に比べて異常に敏感な人など)
昔の自然の中で育った私などは、昆虫や魚、小動物達の隠れているのを見つけ出すことを子供の遊びとして育ちましたので、都会育ちの人達よりはその感覚が鋭く、今でも散歩の途中の道ばたで彼らのかすかな気配を感じて立ち止まることがあります。そして、そこにチラッと動く姿を確認した時、まだ残る彼らの存在を知ってほっとしたり、昔に比べて極端に減ってきた現状を寂しく思ったりしています。
本来naturalistの私であることから、ついつい横道にそれてしまいましたので、話を本論に戻しましょう。

以上、前編として私達を取り巻く自然界で当たり前に行われている「擬態」という技を例に挙げて、この欺き(あざむ)の行為が普段当たり前のこととして行われ、かつそれが生物の生存に非常に大きな意味があるということを説明したのですが、理解して頂けたでしょうか。
そして、この行為、すなわちこの「あざむき」の活動が、生物界にとっては生の仕組みであって、単純に善悪では論じることができない本質であるということが理解できたとしても、冒頭にも述べましたように欺瞞ということをいざ人間を対象として考えるとなると忌み嫌いたくなるのはいったいどうしてなのでしょうか。

それでは、この欺瞞と人間の関わり合い、すなわちその社会での実体と、それに対する私達の心構えについては後編でお話しすることにしましょう。
その後編は少し間をおいてから掲載したいと思いますので、それまで皆さんもこのテーマについての自らも含めた身近な実態がどうなのかを捉え、それについての価値判断と、その対処のあるべき姿について考えてみてください。特に大事なことは生物の世界の長い進化の過程で、なぜそうすることになったのか、身近な事例を挙げて、それぞれの立場になって考察してみることが、私達人間の生き方に何らかのヒントを与えてくれると思いますので、この機会にぜひ行ってみることをお薦めします。

(後編に続く)