富士山「成功」ということを山の頂(いただき)に例えたら、その高低や大小に関わらずその下方で多くの「失敗」というものが積み重なって足場を支えているからこそ、そびえていられると考えるべきでしょう。その頂に立った者が、自分の奮闘努力の結果でここまで至れたと喜ぶだけでそこまでの行程を支え守ってくれた人や環境のことを頭から外してしまうと、その先で遭難の憂き目に遭うことはよくあることです。

このように、人というものは日頃多くの「失敗」にお世話になっているにもかかわらず、なぜ「失敗」を恐れ、避けたりするようになるのでしょうか。「失敗は成功の母」と言われてきたのですから、失敗したからといって隠さなくても良いはずなのに、なぜその事実を否認するようになるのでしょうか。この往生際の悪さは、何がしてそうさせるのでしょうか。その個人の問題でしょうか、それとも社会、文化の問題なのでしょうか。人間以外の動物において、仲間が失敗したような時には果たしてどういう態度をとるのでしょうか。その道を研究されている専門家の知見をお聞きしたいものです。人間には、ある時から「失敗をゆるさない文化」がはびこったからではないかと思ったりしていますが、それはどうしてなのか。先の世のために、その根源や本質を見通し、この課題を乗り越えることができる強い人づくりを通して、国民の価値観のレベルアップを図る必要性を私は強く感じています。

 

確かに、私達にとって「失敗」というものは、ストーカーやテロリストのごとく付きまとい、隙あらば襲いかかってくるような油断のできない、はなはだ悩ましいものであることには間違いありません。自分だけならまだしも、それが周囲に迷惑を掛けることから忌み嫌われるのでしょうが、あの名著「ピーターの法則」や「マーフイーの法則」などに、それらの解析が一般の人にも分かりやすく、ユーモアも交えてまとめられていますので、人生での失敗の捉え方の参考にするためにこれらを読み、頭の中に入れて仕事や生活の参考にされることをお薦めします。

私も、自らの経験に照らしてこの掲題のテーマの大事さが骨身にしみていることから、次代を担う人へと出版した拙著「成功する人の条件」の中にも必然的にこれらの要領を織り込んであり、特にその4 「素直になれない」、その6 「知らざるを知る」、その16 「信用を確保すること」で切り口を変えながら意見を述べさせてもらっています。

 

それにしても、昨今の報道に出る政治、経済、学術など各界のリーダーの失策に対する言動が、相も変わらず見苦しく、またそれが多くの社会損失を来しているにもかかわらず、そのことに対する社会的実証と対応にも甘さや的外れがあり、あたかも対岸の火事視的なことで終ってしまうことが目立つことから、このブログを通して皆さんへ問題提起するつもりであらためて筆を執った次第です。

 

先ずは、話しが早いので、私の言いたいことをまさしく書き表してくれている次の本を皆さんにもご紹介しておきましょう。

Richard S. Tedlow 「DENIAL:Why Business Leaders Fail to Look Facts in the Face…and What to Do about It.」, Portfolio (2010/1/25), Amazon
(邦訳版: リチャード・S・テドロー、土方奈美訳:なぜリーダーは「失敗」を認められないのか、日本経済新聞出版社、2011年1月)

本来、私のブログは書籍紹介を主目的にしたものではありませんが、タイトルに掲げたテーマはビジネス・リーダーに限らず、私達皆に共通する普遍の課題であると思うことから、以下にこの本の要点を説明しておきます。そこには次のようなことが書かれています。(括弧内は小生挿入)

頭も良く、学歴も立派で、輝かしい経歴を持ち、切れ者の部下を抱える企業トップが、なぜ目の前の「現実」を認められないのか? なぜ優秀な経営者でも、ゴマすり社員とイエスマンに囲まれると、「老害」となるまで社長の椅子にこだわってしまうのか?

ハーバード・ビジネススクールの著名教授が、「否認」(*原題の冒頭の言葉「DENIAL」)が原因で危機に陥った有名企業の実例を解き明かし、それを避けるためにリーダーが取るべき行動と「不都合な真実」を受け入れるための8つの教訓を(次のように)説く;

  1. 危機を待ってはいけない。否認(拒否)に立ち向かうのは(しないためには)まさに今、今日この日である。
  2. 事実を曲解しても、待ち受ける現実は変わらない。
    それを無視したり、否定したり、理屈をこねたりすることが、その残酷さを和らげたりはしない。
  3. 権力は人を狂わせる。
  4. 経営陣は、悪い知らせを聞く耳を持つこと。
  5. 長期的な視野に立つこと。否認と近視眼的な考え方には密接な関係がある。
  6. 相手をバカにするのは否認の徴候である。
  7. 隠すことなく真実を語ること。
  8. 失敗は、常識に囚われることから始まる。
    たいていの人間は、たとえ間違っていようと、過去の常識にしがみつこうとする。

 

これが要旨ですが、皆さんはこれをどう受けとめましたでしょうか。この本に謳われた教訓はまさしく的を射ていると思いませんか。きっと、報道を通して知る問題を起こした当事者の言動から上記教訓内容に該当するようなことを感じ苦々しく思ったことが、これまでも幾度となくあったのではないでしょうか。

本書にも、「状況が実態より良いようなフリをすることは、最終的にはほぼ確実に破滅につながる」と述べられています。この言葉をリーダーのみならず、社会全体で重く受け止め、家庭や学校教育においても常時大事にすべきと私は思います。振り返ってみると童話や昔話、格言などにこの様な戒めが数多く語り継がれていることに気が付くはずですが、そうであってもいざとなると前述のような有り様となるということを、人間の弱さという面からあらためて皆で考えて、そのことを人づくり、社会づくりの「かなめ」としてしっかり組み込んでおくことが必要なのです。

 

大事なことは、普段分かっているようでも、いざ事が起こってしまうと当事者の頭の中からこのようことがどこかに飛んでしまい、「否認のための抗弁と行動」に必死になるという現実があることなのです。このような人と、そうならない人の差は何なのか、そうならないためにはどうあるべきかを考えてみることが必要なのです。そのことから、もし自分が(例えリーダーでなくとも)このような状況に陥った時、危機から早く脱するためには普段からいかにあるべきかを、学び、実践的に身に付けておくことを強くお薦めします。それこそ、汗水ながして皆の力で築いてきたものを、そして折角の人生を、無駄にしないための大事なこととして、ぜひ皆で、社会の仕組みとして蔑ろにしないようにしてもらいたく思います。

 

この根柢にある問題、すなわち失敗の本質は、人の性格、その時の体調や心理状態、さらには環境、社会動向などに端を発するもので、前述のように私自身、このことについて個人的にも仕事においても悩み苦しんできたたことから、現役を退いた今でも目を覚まして夢で良かったと思うことが少なくありません。そういう訳で、このHPでご紹介している拙著2冊にも、前述のごとく自らの経験も踏まえて失敗の基本的要因である人間の本質に対する見方、考え方につき切り口を変えて書き記しておいた次第です。

 

さて、そうであるなら、この失敗というものを避けることを行動の第1目標とすべきでしょうか。

クレマチスこれについて私の見解を述べさせていただくと、もちろん無駄な失敗は避けるべきなのですが、ただ失敗を恐れるだけで、安全索しか取らないようでは価値ある成功を得られないということも現実なのです。また、幼児や学童の教育訓練をみてもお分かりのように、失敗というものは人や集団に力をつけ成長させますし、これにより次への成功率が高まります。マネージメントにおいても然りで、あえて失敗を回避して何もしないことの弊害も(意外に気が付かないものですが)大きいことから、これら両面からしっかり検証する必要があるのです。

 

自ら手を下さず事が収まるまでじっとしているとか、いざ実行に当たって危険批判や失敗の弊害だけを根拠も無く論じ、後は拱手きょうしゅ傍観ぼうかんを通すような人間を放任すれば、実践の中で身体を張って苦労している人達の活力は削がれ、その集団の活性度は低下することは間違いありません。組織においても、また社会においても、この様な現象に常に注意を払い、真に頑張った人が報われる公正公平な仕組みを目指さすことがマネージメントとして大事なことなのです。

 

失敗は精神主義や消極主義では避けられません。大事なことは「戦略の失敗は戦術では補えない」ということ知ることです。そのためには起こった失敗を非難するよりも、その失敗を事前に予測して予防索を取ったり、失敗の拡大を防いだりする仕組みづくりを早め早めに構築していくことが重要なのです。この世の中には、それらのお手本となるものが沢山ありますので、素直に学び手を打っていくことが必要です。自らが、実際の現場で、その現象をしっかり見て、対策も丸投げせずに、自分達の頭で考えに考えて手段を講じるべきで、その間に起こるかもしれない実践行動で裏付けられた失敗は何も非難されるものではなく、その次のために強固な足場として使える大事な成果と考えてこそ冒頭で述べた頂に立つことができるのです。

地位、名声、財産など見方によっては無価値なものにしがみついて、成すべきことを、成すべき時にしなかった罪は小さくないのです。誰にも知られなかったといってもいずれはそれが明らかになり、その人の足場は遅かれ早かれ崩れることは間違いないと私は確信しています。

 

過去、我が国が侵した失敗経験の分析結果から、このことの基本な考えについてしっかり論述している文章がありますので以下に引用しておきます。少々固い表現ですが、無視できない内容ですのでじっくり読み解き、ぜひ参考にしてもらいたいと思います。

 

出典:野中郁次郎他5名共著「戦略の本質」日本経済新聞社、第5章 軍事合理性の追求と限界(p.216); (文末に紹介する名著の姉妹編)

 

軍事合理性の限界という観点から見るとき、ここにはポリティックス(政治)と軍事、中央と現場の間に横たわる本質的な問題の存在を確認することができる。すなわち、何かをなすことによって生じた失敗をどのように識別するかということである。何かをなして失敗した場合は検証されるが、何かをさせなかった場合の結果はどのように検証されるのであろうか。

実行されなかったことの誤りを実証するのは難しい。成功したかもしれないことをやらせなかった場合の機会損失はだれが責めをおうべきなのだろうか。

リスク(当事者責任)を回避することは、問題の先送りや、模様眺めの無作為につながりやすい。中央と現場、政策策定主体と実施主体(インプリメンテーション)の間は、常にこのような問題が潜在している。いいかえれば、作為、無作為をめぐる責任の所在ということである。』

 

人や組織をマネージメントする人達は、ここに書かれたことをしっかり受け止めて、日常に活かしてもらうことを強く望みます。また、全ての皆さんは、世の中で起きる諸々の失敗の報道について、その表面だけを捉えて安直な判断をすることなく、常にその失敗の本質まで頭を巡らすことに努めてもらいたく思います。

もちろん、その失敗により社会に大きな被害を与えたことについてしっかり糾弾することは論じるまでもないことですが、それを発生させた要因の中の「何かをしなかった、させなかったこと」の実証と責めが甘すぎると私は思っています。そして、それによる諸々の社会損失がどのくらい多いか、何もせずあぐらをかいている「事なかれ主義」の無能の輩の弊害が良識ある人達にどれほどの負担を与えているかを明らかにし、認識しないと、意欲ある有能な人材をつぶすことにもなり、延いては諸外国からも真に評価される本当の意味での安心安全な信頼度の高い国にはならないと思っています。

 

我が国は、先の敗戦後すでに70年を経過しましたが、まだその後遺症に悩まされています。何故そうなのか、過去を近視眼的に解釈し、批判のために批判をしているだけでは問題は解決しません。私からは、次ぎに紹介するような名著をこの秋の夜長に読まれることをお薦めします。必ずやあなたの人間性を高めることにつながる筈ですので。

・戸部良一他5名共著 「失敗の本質 ― 日本軍の組織論的研究」 ダイヤモンド社

・佐藤元英 「外務官僚たちの太平洋戦争」 NHKブックス

 

また多忙な医療機関も過誤が増えています。過去、私が医療スタッフの教育に供して役だった参考書もここに併記しておきますので、医療関係の方々は参考にされると良いでしょう。

・Linda T. Kohn, Janet M. Corrigan, and Molla S. Donaldson, Editors; 「TO ERR IS HUMAN, Building a Safer Health System」: Committee on Quality of Health Care in America, Institute of Medicine
(邦訳版:人は誰でも間違えるーより安全な医療システムを目指して:日本評論社出版)

 

以上が、今回皆さんに提起した問題の内容です。

これをもとに「失敗」ということについて、皆さんの経験に基づいてそれぞれの立場で忌憚のないご意見を頂ければ、きっとこれからの人達のためになることでしょう。

老若男女、仮名で結構ですので、このブログを通して討論などもして頂くことを歓迎します。また、私へのご意見、ご鞭撻もうれしく受け、今後の生き方の糧にしたいと思いますので、どうぞよろしくお願い致します。